goodbye,youth

増子央人

2023.02.06

2023年に入っていつの間にかもう1ヶ月以上経っていた。1月の終わり際、窓の外ではゆっくりと雪が降り、風のない日の雪なら好きになれるかもしれないと思ったが、外に出ると気温の低さにもう家に帰りたくなった。たまに行く飲み屋のおでんがとんでもなく美味しく感じたとき、外が寒くてよかったと思った。

一昨日に名古屋で開かれたcoldrain主催のBLARE FESは3年前の初回にAge Factoryで、開催2回目の今年はAFJBで出演した。まだアルバムをリリースしていないときに誘ってもらい出演が決まった。coldrainからの愛と信頼を感じたし、単純に嬉しかった。打ち上げでR×Y×Oくんから聞いたが、楽屋のケータリングの出店はすべてがメンバーの同級生や友だちがやっているお店らしく、coldrainの人柄が色濃く出ていてとても素敵だった。バンドが主催するフェスにはそれにしかない良さがあり、良い刺激を沢山もらった。

去年の年末から、TYOSiNのバンドセットでもドラムを叩くようになった。しんくんと初めて会ったのはAge Factoryの恵比寿LIQUID LOOMでのワンマンライブを初めて観に来てくれた日で、その日に仲良くなった。奈良に来てもらいみんなでいっしょに曲作りをしたり、2人で飲みに行っておれの好きな場所に連れて行ったりもした。年齢もジャンルも関係なく、しんくんのピュアさや柔軟性に、音楽以外の部分でも惹かれた。しんくんは1年ぐらい前から、弾いたことのないギターを練習しだした。去年の夏、Age Factoryで対バンした渋谷club asiaで初めてギターを持ってライブをしていた。ステージにはしんくんとバックDJの2人だけ。しんくんは最後の曲が終わって、ギターをステージに叩きつけようとしていた。流石にやめていたが、ライブが終わってから、ギターが上手く弾けなかったと言ってずっと落ち込んでいた。深夜3時の渋谷club asia、ベタベタの床、煙たい楽屋の中で、高校時代組んでいたバンドでのライブハウスでの初ライブ後に全然上手くできなかったと言って凹んでいたベースのことを思い出した。気がつくとあの頃から今も音楽を続けているのはそいつとおれだけになっていた。渋谷でのライブのすぐあとに、しんくんからバックでドラムを叩いてほしいと誘われて快諾した。去年の年末のバンドセットでの初ライブはとても緊張した。AFJBを始めたときもそうだったが、この歳になってもまだ新しく出会った大好きな人たちと初期衝動を共有できることはとても幸せなことだと思う。ベースのレナくんとギターのG4CH4ともすぐに気の合う友だちになった。すべての経験をドラムに生かしたい。

窓の外を見ると空が狭くなっていた。明日の渋谷でのライブのため、機材車は首都高速を走っている。

2022.12.08

川崎へ向かう機材車の中、後部座席で昨日の大阪のライブ動画を見返しながら寝落ちしていた。数年前、手を振るやNOHARAをリリースしたときのライブは思い返せば、楽しさよりも怒りのような感情の方が強かった。一体何に対して怒っていたのか、何も伝わっていないかもしれないというもどかしさ、漠然とした不安、ダサい奴らへの苛立ち、そういうものがどこに行っても付き纏っていて、それでも根拠のない自信だけが常にあった。あの頃の曲を久しぶりにみんなの前でやって、あの頃とまったく違う景色を見て、昔のことを思い出すというよりも、全く違う新しい感情が芽生えた。あの頃の音楽も時間が経って前に進んでいて、誰かの中ですくすくと育っていて、不思議な気持ちになった。みんなの表情が嬉しかった。

昔、実家の近所にモータープールがあり、駐車場の奥に泳げる場所があるんだと思い探したがどこにもプールらしきものはなく、蝉時雨の中立ち尽くしたことがある。少し経ってからモータープールでは泳げないということを知り、悲しくなった。そういう出来事はそのときの景色といっしょに脳味噌に強く絡まっていて、いつまで経っても昨日のことのように思い出せる。試合で初めてフリースローを決めたときや、初めて見た先生のドラムソロ、完成した手を振るをなら100年会館の階段で聞いたとき、他にもたくさん、そういう体験が大人になっても増えていけばいいなと思う。このツアーの一本一本も誰かにとってきっと忘れられない日になる。

寝ていたら海が見えるサービスエリアに止まっていて、車から降りると昼間よりはるかに冷えていた。当たり前のように流れていく日々のことは基本的に忘れていってしまうので、もう今年の夏の暑さのことを思い出せない。

2022.10.12

昨夜深酒したわけでもないのに寝起きの体調はすぐれず、朝は毎回二日酔いのような気持ちになっている。ひとまずリリースしたばかりのAFJBのアルバムを聴いた。このアルバムにはAge Factoryとはまた違う、おれらがカッコいいと思う音楽が詰め込まれている。

あの日は蝉の鳴き声で目が覚めて、つけっぱなしのクーラーのせいで寝起きの身体が重たかった。身支度をしてなおてぃの家に向かい、JUBEEも含めた4人でアルバム制作をしていた。制作は終盤で、えーすけとJUBEEは部屋の中をうろうろしながらHANABIの歌詞を作っていた。「"またここで会えたら"てどう?」とえーすけが言うと、「いや、"会いたい"でしょ!"またここで会いたい"にしよう!だってまた会いたいじゃん、言い切ろう!」とJUBEEが間髪入れずに提案した。えーすけはなるほど、と言って、結局その歌詞が採用になった。おれは後ろで床に座りながら、不思議な気持ちになっていた。"会えたら"は、とてもえーすけらしい、言い切らない、あくまでも聞き手に委ねる、Age Factoryの世界観だと思って、いいやーん、と思っていたら、"会いたい"と言い切りたい、とJUBEEが提案してその歌詞になったことで、Age Factoryとはまた違う、新しい場所へみんなと走っていけそうな気持ちになった。どちらが良くてどちらが悪いとかそういう単純な話ではない。新しい風が吹いた気がした。

先日の渋谷WWWで行われたJUBEEのツアーファイナルは満員御礼のソールドアウトだった。あの日の1週間ほど前、機材車で4人で移動しているとき、あともう少しでソールドしそう!とJUBEEが嬉しそうに話していた。自分の冠イベントであの場所でソールドアウトすることはとても感慨深いことだったらしく、JUBEEはずっと、嘘みたいだよ、どうしよう、とソワソワしていた。この歳になって、新しいバンドを彼と何の違和感もなくできた理由は沢山あって、この日の機材車で見た彼と渋谷WWWのステージで見た彼も、いっしょにバンドをやりたいと思う沢山の理由の内の1つだった。

真夏に作ったアルバムがリリースされた今日は半袖では肌寒いぐらいで、リリースまでのこの時間差にももう慣れてきた。Age FactoryはAge Factoryらしく、AFJBは AFJBらしく、これからも変わらずやりたいことをやっていくと思う。季節が変わって次はどんな曲が産まれるのか、どんなライブをしているのか、今からワクワクしている。

2022.09.19

 木曜日に乗った大和西大寺駅行き各駅停車の車窓から見える田んぼの稲にはいつの間にか小麦色の芽が付いていた。町の色や音や匂いが少しずつ変わってきて、永遠に続くんじゃないかと思っていた今年の夏にもちゃんと終わりが来て、町に余白ができた。秋は毎年こんな感じだったと思い出した。

今月末には夏に始まったツアーの追加公演があり、その日を持って2年前に出来なかったツアーが終わる。時計の針が止まっていたわけではないし、ハイネケンは温くなるどころか何杯飲み干したかわからないほど時間は進んだ。Age Factoryで閃光ライオットに出ようとした19歳のあの日から気がつけば10年経ち、もう少しで20代が終わろうとしている。

今日は20代最後のライブの予定が台風の影響で中止になった。奈良は未だに雨すら降っていない。昨日の夕方中止が決まってから後輩と朝まで飲んでいた。今日はドラムを叩きたかったなと思いながら1日の大半をベッドの上で過ごした。夕方に起きてご飯を食べ、去年クリアしたプレステ3の真三国無双6を惰性でもう1回した。2回目なので大して面白くなかった。久しぶりにレコードを回してみた。盤を変えるのが面倒だったのでセットされていたYO LA TENGOのアルバムを回した。確かこのレコードは最後の曲だけが大好きだったからFLAKE RECORDSで買ったもので、買ってしばらくしてからはいつもB面から再生していた。何度聞いても最後の曲以外は全然好きじゃなかった。

昨日、なおてぃがAFJBのアルバムのミックスマスタリングを完成ラインまで到達させた。JUBEEは30歳の誕生日だった。縁か、とえーすけがLINEで送っていた。大きな節目のときにはいつも、こういうことが起きる。今朝、居酒屋を出て6時頃、家までの道をアルバムの曲を聴きながら歩いていたらもう少し聞きたくなって家の下で立ち止まって何曲か聞いていた。この気持ちは手を振るを出した頃から何も変わっていなかった。おれらが1番カッコいいわ。酔っ払いは朝焼けの中小躍りをして、尿意に負けて部屋に帰った。

 

 

 

2022.08.20

2年前に知り合ったJUBEEとバンドをすることになった。どういう経緯でその話になったか覚えていないほど、何の違和感もないままバンド名が決まり、JUBEEが奈良に来て曲作りが進んでいった。JUBEEを客演に迎えて初めてツアーを回ったとき、彼のライブに対する真摯な姿勢と純粋に音楽を楽しんでいる姿にとても刺激を受けた。いつも好きな音楽やMVを教えてくれる彼は音楽を好きになったばかりの中学生のようでとても面白かったし、学生の頃、スタジオの休憩時間に好きなバンドの曲を友だちと聞かせ合っていたあの頃と同じ匂いがして、そうだ、バンドやりだした頃ってこんな感じだったなと思った。

JUBEEはもともとTHE MAD CAPSULE MARKETSDragon Ashやhideが大好きで、音楽をやり出した頃、バンドをやりたかったけど、周りにバンドをいっしょにやるやつらがいなくて、1人でラップを始めたと言っていた。ずっとバンドをやってみたかったらしい。ライブのあとに酒を飲み機材車で次の街へ行き合間にみんなでご飯を食べまたライブをしたり、みんなでスタジオや家に集まってあーだこーだ意見しながら曲を作ったり、おれたちからしたら当たり前のことがJUBEEにとってはどれも新鮮で、本当に楽しいんだと話していた。Age Factoryは今年12年目、おれが加入してから8年目になり、JUBEEの所属するCreative Drug Storeは今年で10年目になる。お互いがこのタイミングで新しいバンドを組んでスタートする、こんなにワクワクすることはない。

えーすけが月ならJUBEEは太陽のような存在だと思う。

勿論Age FactoryもJUBEEも今まで通り変わらず活動を続けて、それと並行してAFJBの活動も行うので、この新しいプロジェクトをワクワクしながら見ていてほしい。

2022.07.11

休みの日、昼前に起きてAbemaでだらだらとABCお笑いグランプリを見ながら外に出る準備をして家を出た。近所の地蔵にお祈りしながら話しかけているおばさんを横目に歩いた。工事現場のおじさんに道を聞くおじさんの背中すれすれを通り抜けて喫茶店へ向かった。先週の火曜日、よく考えたら選挙当日は投票に行けないことに気が付き慌てて期日前投票に行った。流れてくる当選ニュースを見ても誰がどういう施策を掲げている人なのかよくわからなかった。もうすぐ30歳になるというのに、もう少し調べてから選挙に行くべきだったと後悔した。

安倍さんが撃たれた日、おれらは東京から来ていたJUBEEといっしょにいつも通りなおてぃの家で曲作りをしていた。夜はツインテールでパーティーをして死ぬほど酒を飲んだ。嫌な気持ちはあったがやっぱり生活は何も変わらず川のように流れていった。先輩が死んだときも同じことを思った。気持ちだけがいつもと違うだけだった。時間も生活も、自分の意志と関係なく流れていくものは残酷だと思った。

初めて行った姫路BETAは漫画に出てきそうな昔ながらのライブハウスで、凄く好きになった。高速を降りてから走った姫路の町の風景は奈良に似ていた。bachoのライブに酷く感動した。みゅーごさんのギターの音が出なくなったとき、演奏しながらきんやさんがたかさんに話しかけて、みゅーごさんの音がもう一度鳴るまで3人で同じフレーズを何周もしていた。2分ぐらい待っていた気がする。みゅーごさんのギターが復活して、そのすぐあとにたかさんがフィルを叩いて、全員で次の展開に入った。おれは酷く感動した。バンドで鳴らし続けてさえいれば、誰でもまた戻ってくることができるんだと思って、涙が出そうになった。

一昨年の夏は酷く退屈でベランダで向日葵を育てたりしていた。1人で暮らしている限りはもうやらない気がする。今年の夏はツアーを回れているし、色んなイベントに出れるし、レコーディングもしている。隣の部屋の外国人はまた何語か分からない言葉を永遠に喋っている。壁が薄すぎる。

 

 

 

 

2022.07.05

夏はもう生きていけないかもしれない。外に出るだけで全身から汗が滲み出て不快な気持ちになる。どれだけ空が青かろうが太陽を反射した水田がキラキラ輝いていようが琵琶湖に飛び込む小学生たちが楽しそうに騒いでいようがもう夏に喜ぶ気持ちは無くなってしまったかもしれない。今年の7月はそれぐらいに暑い。そしてなぜかまた梅雨のような天気が一昨日から続いているが、それのおかげで一昨日の京都大作戦は少し涼しくて有り難かった。

先週は火曜日からSHANKのツアーに2日間帯同して神戸、京都へ行き、その翌々日にドミコのツアーに帯同して高松へ行った。1日だけ奈良に帰り、日曜日に京都大作戦でライブをした。

ライブハウス、クラブ、ホール、フェス、ジャンルも場所も関係なく、おれらは呼ばれれば出たいイベントには出るし、イベントによって会場の雰囲気は全然違う。よく考えればそれはコロナ禍に関係なく、今も昔も同じだと思う。お客さんはイベントの空気を感じ取って、行きたいイベントに行けばいい。それも、今と昔と何ら変わらないことだと思う。

色んなイベントに出て主催者の人たちと話して思ったが、刹那的な今のことだけではなく、この先のことも、みんなどうすればいいかを一生懸命考えている。何が正しくて何が悪いかなんて自分の中にだけあればいいし、それぞれの正義がそこにあるだけで、誰も間違っていない。できるだけ頭を柔軟にして、自分がカッコいいと思うことを信じ続けたいし、考えながら歩き続けたい。

各地で見たAge Factoryが大好きな人たちの顔は何よりも輝いていたし、ここまで来てよかったといつも思う。この無茶苦茶な時代をAge Factoryはこれからも考えながら進み続けるだろうし、それに共感する人たちはついてきてほしい。

台風が来ていると聞いていたが、今日起きてiPhoneを見たら台風は温帯低気圧に変わったと書いていた。今週末の京都大作戦も無事開催できることを願う。おれらはその頃姫路でbachoと2マンライブをしている。bachoの地元のハコに初めて行くのも、bachoと久しぶりにライブハウスでやるのも、活休中のドラムのたかさんがやってるラーメン屋に行くのも全部楽しみなので、その日まで暑い夏をなんとか乗り切ろうと思う。