goodbye,youth

増子央人

2022.06.22

RE:EVRYNIGHT TOUR2本目の福岡を終えて、機材車は奈良へ帰っている。EVRYNIGHTをリリースした2020年4月29日はコロナ真っ只中、各地のタワーレコードすら閉まっていて悔しい気持ちになったのを覚えている。それでもライブをしてみんなの前で演奏できるなら、と思っていた矢先、ツアーの全箇所中止が決まった。何かしたいのに何をすればいいのかわからないまま、リリースの翌月に初めて配信ライブを行った。お客さんがいない中、カメラに向かっていつも通り演奏したつもりだったが、演奏中、一体誰に向けてやっているのかわからなくなった。それでも終わってから沢山の人たちの声をSNSで見て少し安心した。地元のライブハウスで働く友だちが泣きながら電話をかけてくれたのも覚えている。それでもやっぱり配信ライブは生のライブの代わりにはならかった。

音楽は記憶に付随する。みんなの記憶の中でEVRYNIGHTの曲たちが鳴り続けているなら、リリースして2年経った今このツアーを回ることはとても価値のあることだと思う。

ツアー初日、奈良から広島に向かう車内で、友だちから連絡があった。もう10年ぐらいの付き合いになるバンドの先輩というか友だちというか、それぐらいに仲が良くて好きだった人の訃報だった。信じられなかった。連絡をとっていたわけでもないし、今の自分の生活に大きく関わっていたかと言われると全くそんなことはないけど、おれの記憶にはその人の存在も音楽も大きく関わっていた。これからのおれの生活は何も変わらないのに、その日は1日中、彼女が死んだということが頭から離れなかった。結局、去年の年末のライブを観に来てくれたときに会ったのが最後だった。その人がEVRYNIGHTが1番好きだと言ってくれていたことを一昨日知った。

このツアーはまだ始まったばかりで、奈良に着いたらいつもの生活に戻り、その日が来ればまた機材車に乗って次の土地へ向かう。毎日生活することに必死になって1番大切なことを忘れてしまいそうになる。そんなときはバンドで音を鳴らす。思いっきりドラムを叩く。この日々の記憶を数年後に思い出すとき、頭の中でEVRYNIGHTの曲たちが流れてくると思う。終わりまで駆け抜けたい。

2022.05.06

先週の金曜日、窓を叩く雨音で目が覚めた。窓の外ではベランダの椅子が飛んでいきそうなほどの風が吹いていて、時計の針は16時を回っていた。ご飯を食べ、髭を剃って久しぶりに革ジャンを羽織り家を出た。

THROAT RECORDSへ寄ってビールを1本だけ飲み、近鉄電車に乗って映画館に向かった。ようやく「今はちょっと、ついてないだけ」を観に行けた。この日は奈良の劇場での公開初日で、ストリーミングで再生できる映画のデータを貰っていたが、最初はどうしても映画館で観たかったので、そのデータは開かなかった。腹は減っていなかったが映画館へ来たのでポップコーンとドリンクを頼んだ。セットにするとポップコーンは大きめのMサイズしか頼めないと言われ、絶対にそんなに食べれないと思ったが仕方なくMサイズを頼んだ。子どもの頃、ドリンクは必ずメロンソーダを頼んでいたが、いつからかレモンティーとか白ブドウジュースとかそういう類のさっぱりした無炭酸のドリンクを頼むようになった。客はおれの他におじさんが2人だった。映画の登場人物と自分の父が勝手に重なり、なんでもないシーンで涙が出た。とても好きな、優しい映画だった。First day songへの導入がとても素敵で、作品の一部になれたことを嬉しく感じた。エンドロールが流れ終わって客席の電気がついたとき、案の定ポップコーンは半分も減っていなかった。

最近久しぶりに、福島のばあちゃんから手紙が届いた。父からユーチューブのドリップ東京の動画を見せてもらい、それに感動して、手紙を書いたらしい。ユーチューブでその動画を見ているときの父はこわれてしまうほどの笑顔ですよ、と書かれていた。父のこわれてしまうほどの笑顔は容易に想像できた。相変わらず、優しい文字と、優しい文章だった。

一昨日からとても晴れている。スーパーの駐車場、どの方角を見ても緑色の山が見える。4月はライブで色んな場所に行ったので、いつもの景色を見て奈良にいることを実感する。

 

 

 

2022.04.25

4月のライブがすべて終わった。バンド主催のフェス、初めてちゃんと対バンしたバンドのツアー、クラブのオールナイトイベント、クラフトビールのフェス、お世話になっているライブハウスの主催イベント、10年前から大好きなバンドのツアー、色んな土地で色んな人たちと交わった4月だった。暖かくなり、夜に外を歩くことも苦ではなくなってきた。各地でその街の温度を感じ、その街のご飯を食べ、その街で吹く風に背中を押され、その街に住む人たちの声を聴いた。街の色もイベントの色もバンドの色も、そこに関わる人たちの色になっていく。その色を見ることがとても好きなんだと思った。

北海道からの帰り、機材車を運ぶため苫小牧からフェリーに乗り込んだ。ロビーを通るとピアノの音色が聞こえてきたので足を止めて壁に掛けられたテレビに視線を向けた。街角ピアノという番組が流れていた。街中にあるピアノを弾きに来た人たちを映す番組で、青森県弘前市にカメラが来ていた。3年前からピアノを習い始めたボクシング部の高校生、特別支援学校の先生、大学病院の医師、音楽家になる夢を諦めた介護福祉士、年齢も職業も関係なく色んな人が映っていて、それぞれにそれぞれの物語があり、色んな思いでピアノを弾きに来ていた。おれはやっぱり人が好きなんだと思った。3年程前、バイト先にいた同僚の60歳を過ぎた女性が、最近トランペットを習い始めたと言って、たまたま機会があったのでみんなの前で演奏していた姿を思い出した。リズムは取れていない、音程も合っていない、そもそも音がちゃんと鳴っていない、下手くそな演奏だったけど、カッコよかった。楽器の演奏に感動する度合いは、演奏の上手さに比例しない。勿論上手いに越したことはないし、上手くなることを諦めてはいけないけど、技術以上に大切なことはある。その人には色んなことを教わった。昔からピアノはドラムの次に好きな楽器なので、いつか弾けるようになってみたい。ピアノ弾けたらカッコいいし。

フェリーは20時前に敦賀港に到着し、機材車を運転して奈良まで帰った。家の近くを歩いていると、少し安心した。

 

 

2022.04.03

金曜日、紫シャンプーを買いにLINUSへ行き、その帰り道、久しぶりにTHROAT RECORDSに寄って五味さんと話をした。1本だけ、と思い缶ビールを買ったが帰るときには空の缶ビールがレジ横に4本並んでいた。1本は五味さんが飲んでいた。バンドで相談したいことができたとき、こういう風に話を聴いてもらえる人と場所があることは本当に有難い。店を出て、奈良NEVERLANDにえーすけの弾き語りを観に行こうかと思ったが、思いのほか飲んだし、時間も経ったし、ネバランまで歩くのが面倒だったし、帰ってMy Hair is BadのMステ初出演を見ることにした。家に着いてテレビをつけるとMr.Childrenが演奏していて、このあとにマイヘアがやるとのことだったので、冷凍食品をレンジで温めてからソファに座った。マイヘアの演奏2曲を観終えて、すぐにテレビを消して温めていた海老とほうれん草のクリームパスタを食べた。感動とか嫉妬とか、そういうのじゃなく、とにかく嬉しかった。パスタのことではない。マイヘアの3人のことはずっと好きなんだろうと思う。

翌日の土曜日、早朝に奈良を出て名古屋へ向かった。04 Limited Sazabys主催のYONFESは初めてなのに凄く居心地が良かった。ステージの上はセットリストの紙が飛ばされそうなぐらい、春の風が吹いていた。何か新しいことが始まりそうな4月の風はいつも特別な匂いがして好きだったことを思い出した。気候も最高で、すべてのフェスはこの季節にやればいいのにと思った。3年ぶりの開催、大切な1日に関われたことが嬉しかった。

名古屋に泊まり、朝、機材車は高松へ向かう。

2022.03.11

ツアーが終わる頃には少し暖かくなっているんだろうと初日の岡山を歩いているときに思った。案の定、今奈良に帰る車内で汗をかいている。日差しが鬱陶しい。時間はどんどん進んで、冬の終わりと同時にこのツアーも終わってしまった。

昨日のツアーファイナルはキャパ制限こそあったが、椅子ありのZepp Diver City TokyoがAge Factoryを大好きな人たちで埋め尽くされていた。5年前に初めて新宿LOFTでワンマンをやったとき、おれらのことを大好きな人たちだけで埋め尽くされたフロアに興奮したあのときの気持ちを今でも覚えている。このツアーでステージに立って、ゆっくり少しずつフロアが大きくなっていることをようやく実感した。昨日のスタートは少し押して舞台袖のデジタル時計の表示は19時8分、SEが流れ始めたとき、もうすぐツアーが終わるのかと思うと少し寂しくなった。やっぱりAge Factoryを好きな人たちがおれは大好きで、あの青くて儚くて衝動的なフロアがどこまでも広がってほしいと思った。みんな間違っていない。

このツアー中、色んなことがあった。スタッフと何度もミーティングをして、春からのAge Factoryの動き方を話し合った。音響、事務所、マネージャー、照明、VJ、サポートギター、ローディー、舞台監督、イベンター、グッズ担当、現地の方々、そして来てくれたみんな、全員がいてやっとこのツアーが成り立っていて、おれたち3人だけでは何もできていなかった。それは勿論今までもずっとそうだったが、このツアーでより強くそのことを感じた。1人1人の仕事を理解し、どんな気持ちでバンドに関わってくれているのか、本当はもっと早くに知るべきだったが、このツアーで知ることができてよかった。

セミファイナルの大阪を終えたあと、Pure BlueのMVが完成した。初めて仕事をお願いした監督の井手内さんがこの曲は奈良で撮りたいと言ってくれて、1週間ほど奈良に滞在してメンバー3人の好きな場所を撮りに回ってくれた。どういう作品になるのか想像できなかったが、完成したものを見てからとりあえず外に出たくなり、近所を歩いた。いつもの道がいつもより愛おしく感じて、何もかも、全部上手くいけばいいのに、と思った。

ライブ中は無我夢中だったが、えーすけがBlinkを歌い始めたとき、ようやく終わることを実感した。ツアーが終わっても、旅はまだ続いていく。また新しい景色と出会うため、機材車は高速道路を走って奈良へ帰る。

 

 

 

2022.02.20

機材車は仙台から名古屋へ向かう。山の向こう側には薄い雲が広がり、空と雲の境目が曖昧になっている。強風で何度も機材車が揺れている。

馴染みのない街を歩くことは凄く刺激的で、それだけで気持ちが高揚する。初日の岡山、ライブが終わって店長と話をしていると、今日はいつもこの辺でライブをしている地元のバンドマンも沢山来てたと言っていて、なんだか嬉しかった。ライブ中は色んな感情が入り乱れて気持ちが昂る。あそこまで気持ちが昂ることは、日常生活に置いて他にない。みんなの感情も、声が出せなくても伝わってくる。2本目の福岡、First day songの前にえーすけがしていたMCで、あの歌詞を書いたときの気持ちを初めて聴いて、あの曲がより好きになった。偶然映画の話がきて、原作の小説を読んだえーすけが書き下ろした曲だが、アルバムPure Blueの次に出来た曲がFirst day songというのは必然だったように感じた。

昨日の仙台では、九龍ジェネリックロマンスに出てきそうな、とても良い雰囲気の喫茶店を見つけた。あまりに雰囲気が好きだったので店の音も聞こうと思いイヤホンを外して流れてくるラジオに耳を傾けていると、今の音楽業界は配信がメインなのでCDが売れない、配信だけではレコード会社は儲からない、昔に比べて大変になっている、とかなんとかとラジオのパーソナリティが喋っていたのでなんかうるせ〜と思いイヤホンをつけ直して好きな曲を聴いた。ライブハウスに入ると、郡山PEAK ACTIONのステッカーが楽屋に置かれていた。ステッカーには店長のジョンさんからのメッセージが書かれていた。いつも仙台に来たときにお世話になっているイベント会社の人が前日に郡山PEAK ACTIONに行ったらしく、そのときにジョンさんが渡してくれたと言っていた。あの場所にも沢山の想い出がある。こんなことは長くバンドを続けていてもそんなに頻繁に起こることではない。嬉しかった。大切に想ってくれる人たちのことは大切にしたいと思った。2本のライブを終えて、仙台では少しセットリストを変更した。何度も感情が爆発した。底からこみ上げてくるあれが何だったのかは今思い返してもわからないが、血は何度も沸騰した。

きっとこの綺麗な日々のこともいつか忘れる。そのときは自分にとってその想い出が必要では無くなったときなので、いつかそんな日が来ても仕方ないかと思う。人はすべての想い出を持ったまま生きることができないらしい。それでも今はとにかくあの場所で大きな音を鳴らしたい。あの瞬間だけが本物だと思う。

 

2022.02.10

明日からPure Blueのリリースツアーが始まる。岡山に向かう途中、財布を家に忘れてきたことに気が付き、家まで戻ってもらった。まだ奈良を出る前でよかった。平坦な中国道を機材車が走る。岡山でライブをするのはいつぶりだろうと思い調べると、3年前にTHE FOREVER YOUNGのツアーで来たぶりだった。今はツアーを回れることがとにかく嬉しい。一昨年、EVERYNIGHTのツアーが全部なくなって、退屈な日々の垂れ流し、空は広いのに窮屈な空気が漂う奈良で始まったPure Blueの制作、なんとか完成した新しいアルバムを聴いて、何度もライブを想像した。

いつの間にか高速道路を降りていたが、えーすけとなおてぃはずっと喋っている。何をそんなに話すことがあるんだろうと思ってイヤホンを取ってみると驚くほどしょうもない話をしていたのでまたイヤホンをつけた。岡山に着いて、ホテルの近くのコンビニでビールを一本レジに持っていくと、店員さんに年齢確認をされた。苦笑いしながら免許証を見せた。とにかく、明日からのツアーを最後まで走り切りたい。