goodbye,youth

増子央人

2023.09.17

今年の夏は木を見上げる回数が多かった。別に見つけても捕まえたりしないのに、ネットでカブトムシがよくいる場所や時間帯を調べたりしていた。父に似てきたんだと思った。

今年の3月に父に会いに福島へ行ったとき、父がよく行くという山に連れて行かれ、木の種類や秘密の抜け道なんかを教えてもらった。あそこの流木を拾ってよく道の駅まで売りに行ったんだ、とか、あそこの斜面は登れるぞ、とか、前にここでニホンカモシカを見たぞ、とか、そういう話をずっと聞いていた。夜に父がよく行く居酒屋に飲みにいき、二軒目にこの時間帯ではここしか開いていない、という最終地点のような店に行き、4時までカラオケをしながら飲んだ。おれは奈良で同じような飲み方をしているので、これは父の血だったのかと思った。店の人から、父の話を沢山聞いた。その話から父がどれだけ愛されているかが伝わってきて少し嬉しかった。昔よく父が聴いていて好きになった曲があり、その曲を歌った。父は笑いながら泣いていた。よく考えると父が泣いている姿を初めて見た。

年々涙脆くなっていき、些細なことで感動するようになった。母に似てきたんだと思った。

今年の8月の頭に母方のばあちゃんが亡くなった。奈良でレコーディングの最中だったが、ドラムは録り終えていたので、後半の歌録りには参加しなかった。母の車を運転して、久しぶりに会った妹と母の3人で三重へ向かった。お通夜の直前、葬儀所の近くに虹が掛かっていた。周りは田んぼだらけで、綺麗な稲が金色の絨毯を敷いていた。三重の田植えの時期は奈良より早いんよ、と隣にいた母が教えてくれた。いつも辛いことがあると聴く曲があるの、その曲聴いていい?と言い、母はカーステレオでDoris Dayのケ・セラ・セラを流した。2分程度のその曲を何度も何度も繰り返し流していた。助手席を見なくても、母が泣いていたのがわかった。田んぼに囲まれた一本道で、アクセルを少し緩めた。

今年の夏で8月がより嫌いになった。9月に入っても暑い日が続いているせいで、嫌いな8月がまだ終わっていないような錯覚に陥る。早く終わってほしい。