goodbye,youth

増子央人

2017.10.01

ライブハウスに着くと後ろの空の大きな煙突から煙が自分勝手に吹き出ていた。苫小牧のライブハウスの前の道にはベンチがいくつか置かれている。都会ではあまりない光景だ。街がのんびりとしている。道も空も広く、北海道の冷たく澄んだ空気を大きな深呼吸で精一杯吸い込んだ。こっちはもう紅葉が始まっていた。目一杯広がる草木は心なしか奈良のそれらよりも大きく見えた。海が近くにあったので20分ほど歩いた。だんだんと日は落ち、少ない街灯と曇り空と強い潮風が周りを不気味にしていた。海に着くと波は荒れていた。荒れる波の向こう側、水平線の近くにいくつかの船の光が孤独に浮かんでいた。観光客を乗せたフェリーの光か、漁師を乗せた船の光か、どちらにせよ暗闇に光るそれはとても美しかった。耳元ではApple Musicから昨日初めてライブを見たTHE BOYS&GIRLSのアルバムが流れていた。昨日まで名前しか知らず、昨日初めてライブを見て、今日初めて音源を聴いた。1日で好きになった。歌詞に何度も札幌やすすきのという北海道の地名が出てきて、あぁ昨日歩いた場所のことかと少し嬉しくなる。昨日は打ち上げもなくほとんど話をしていない。今日酒を飲みながら話をするのが楽しみなんだ。こんな唄を唄う人は絶対に良い人なんだ。いつだって目に見えないものが一番怖い。でもそれと同じぐらい、目に見えないものにおれたちは支えられて生きている。おれが好きな人たちは、どんなにカッコ悪くても精一杯カッコつけて生きている。おれが好きな人たちは、何も狂っていない。迷いながら迷いながら負けそうになりながら大好きな音楽を鳴らしている。真っ当に生きるその姿勢に、その体から出る音に、心を強く打たれるんだ。耳元からはそんな音楽が流れている。気がする。苫小牧の空はもうすっかり暗い。もうすぐライブが始まる。

 

 

 

2017.09.30

札幌の空気は澄んでいてとても冷たい。アウターを奈良から持ってきて正解だった。舞鶴を24時に出てフェリーに揺られて20時間、小樽に着いたのは20時ごろだった。フェリーの中ではほとんどの時間が圏外だった。iPhoneも使えないので11時ごろに起きて本を読んでいた。本屋でなんとなく良さそうだったので1年前に買った本をやっと読み切ることができた。今はリハ終わり、札幌の街を歩いて少し腹が減ったのでマクドナルドに来た。帰りもフェリーに乗るので、さっきブックオフで小説を4冊買った。本棚の前で何を買おうか選んでいると、隣で女性2人が仲良さそうに話しながら本を選んでいた。会話から、相当本に詳しいんだろうなということがわかる。見た目も2人とも眼鏡をかけて大人しい雰囲気の、いかにも趣味は読書です、という感じの人たちだった(これは偏見)。2人が本を目の前に話す様はまるでおれたちバンドマンがCDを目の前に好きな音楽を語り合っているときのようだった。本の世界にも、色んなジャンルがあって、数え切れないほどの作者がいて、数え切れないほどの作品があって、2人の会話を盗み聞きしている間、まるでおれの知らない世界に一瞬入ったような気になった。まだまだこの世には自分の知らない世界が山のようにある。そしてその世界では計り知れないほどの感動がきっとある。それを死ぬまでにどれだけ体感できるのか、たぶん全部は無理なんだろうけど、できるだけ多く自分の体に染み込ませたい。会計を済ませた4冊の本はまだ綺麗なものもあればボロボロに使い古されたものもある。それを見て少し嬉しくなる。古着を買ったときも同じ感覚になる。くたびれた姿が単純に好きだというのもある。それと、おれが買う前は一体誰がどんな気持ちで読んでいたんだろう、と妄想をするのも好きだ。燃やされない限り、誰かが手にとって使い続ける限り、どんなにボロボロになってもゴミにはならない。人と人の間を巡り続ける物の美しさが必ずある。ブックオフを出ると外はさっきより暗く、寒くなっていた。マクドナルドのポテトはどこでも安く、どこでも美味しい。

 

 

 

 

2017.09.24

肌に触れる風は少し冷たく、長袖のシャツを羽織れることが嬉しく感じる。田んぼの横道には彼岸花が咲いていた。彼岸花は地獄に咲いている花なんだよと昔誰かに教えられてから、あの花はおれの中ですごく特別な存在だ。じ、地獄に咲いてるの、、!?だからあんな赤いのかすっげー、、と彼岸花を見つけるたびに少し興奮していた。夏が終わり、冬が始まる前、少しずつ寒くなっていく奈良はとても綺麗で、ずっとこんな日が続けばいいのにと思う。おれはこの季節に産まれた。25歳になった。

昔からの友だちの上東からおれの誕生日に連絡がきた。小学生の頃、同じ地区で違うチームのミニバスに入っていた上東はおれと同じぐらいの低い身長なのにとても上手くて目立っていた。憧れの存在だった。同じ市内の、おれは西中、上東は南中のバスケ部に入りよく練習試合をした。ポジションが同じでいつもおれが上東をマークしていた。気がつくと仲良くなっていた。そしてたまたま同じ高校に入り、もちろん2人ともバスケ部に入った。毎日必死に練習した。あいつより絶対先に試合に出るんだとたぶんお互い思っていた。良いライバルだった。ポジションが同じだが、たまにあいつといっしょに試合に出るときがあり、そのときは凄くワクワクした。おれたちはどこまでも上手くなるんだと思っていた。だんだんおれの方が試合に使われる頻度が高くなった。2年に上がるとき、上東は部活を辞めた。顧問が嫌いだったとか、練習がきつかったとか、色んな理由があったと思うが、1つ確実なことは、上東はプライドがとても高かった。高校を卒業して大学に入り、あいつは大学の友だちと居酒屋を開いた。今は奈良で二店舗の店長をしている。あいつなりにがむしゃらに頑張っているらしい。おれはバイト中、たまに酷く虚しくなるときがある。昼間の明るい時間にゴミ出しをするとき、光り輝く太陽に照らされる汚い制服のおれは、すれ違うスーツを着たサラリーマンたちがとても眩しくて見ていられなくなる。この前、ゴミ出しの帰り上東の働くビルの前を通ったとき、上の方で何か動いているものが見えてふと視線を上げると、満面の笑みの上東がこちらに手を振っていた。あの瞬間なんだかふと力が抜けて、心が軽くなった。

墨を入れる勇気もない、人を殴ったこともない、殴る勇気もない、バイトのブッチもできない、コンビニのおにぎりの値段を気にして、ただ毎日を普通に生きるおれたちは、友だちが頑張ってるという当たり前のような普通のことに、強く励まされる。9月の涼しい風は優しく体をすり抜けて、心を軽くしてくれる。おれは優しいこの季節が大好きだ。

 

 

 

 

2017.09.19

コンビニATMの前、残高の数字は久しぶりに見る高い金額だった。頑張ったんだなと少し感傷に浸っていた。その数字は音楽によるものではない。それでもおれは、バンドが仕事だと声を大にして言う。稼いだ金の量ではない。そう意識することがきっと大事なんだ。と、頭で思ってはいても、「お仕事何されてるんですかぁ?」と罪なほど能天気に聞いてくる美容室のお姉さんには「フリーターです」と言ってしまうときがある。説明がめんどくさい。そしてバンドの話しをそういう人にしている途中で少しでも自分を大きく見せようとする自分に気付いたとき、恐ろしく惨めな気持ちになる。人はカッコつけたい生き物なんだと思う。遠征から帰ってきたその日の夕方バイトへ行った。新婚旅行で沖縄へ行っていた店長はオリオンビールをおれにくれた。前のブログにも書いたことがあるが、この店には昔、今は辞めている酷く嘘つきの先輩がいた。その嘘のほとんどは自分を大きく見せるための嘘だった。車を売る会社を自分で立ち上げ今経営していると言っていた。毎月の給料は70万ぐらいあると言っていた。その先輩は長野の大学を休学していて、向こうの大学で出会った人と結婚し、その人は今奈良の大学に編入したので先輩も奈良にいるんだと言っていた。これは本当の話だ。できちゃった結婚で、産まれたばかりの子どもも1人いる。これも本当の話だ。バイトをしている理由は、奈良で友だちがいないから、友だち作りのためだと言っていた。ずっと続けている理由は、楽しいからだと言っていた。本当と嘘がおそらく混ざっていたので、どこまでが嘘でどこまでが本当のことかはわからないが、当時のおれはすべて信じていた。一年ぐらい一緒に働いて、月70万も稼ぎがあるのに週5で働き続ける先輩に違和感を感じ、段々嘘だったのかなと思うようになっていった。おれはその先輩が大好きだった。先輩はおれに優しかった。仕事に対しては真面目で丁寧な先輩は、たくさんのことを教えてくれた。上がる時間になってもなかなか言い出せない雰囲気だったときも、気を遣っておれを上がらせてくれた。先輩はおれの前でできるだけお金持ちのフリをしていた。コンビニでよくジュースを奢ってくれた。200円もするいくらおにぎりを奢ってくれたときもあった。先輩の嘘をまだ信じていたとき、200円のいくらおにぎりで興奮していたおれに「こんなん値段見たことないわぁ」と言う先輩をただ凄いとしか思わなかったおれは今考えるとただのアホだなと思う。先輩はおれと一緒にコンビニに行くとき、絶対におれにお金を出させなかった。出そうとしてもそれを拒否した。先輩の休憩中の晩御飯は家で奥さんににぎってもらったおにぎりだった。それを見てもまだ先輩の嘘を信じていたおれは本当にただのアホだなと思う。一度だけ、営業終わりに2人で居酒屋へ飲みに行ったことがある。その店は先輩の行きつけだったようで、店主と仲が良さそうだった。「こいつバンドしてるんですよ!なかなかカッコよくてね、凄いんですよ!」と酔って顔を赤くしながら店主におれのことを紹介してくれた。先輩のその得意げな顔が嬉しかった。何杯か飲んだあとビールのおかわりを頼むと先輩が「ましこ、もうそろそろやめとこか、店も閉まるしな」と苦笑いしながら言った。今思い返すと会計がこれ以上高くなることを恐れていたのかもしれない。2人で酔っ払い、じゃあなと駅で別れて始発で帰った。先輩と2人で会ったのはその一回だけだ。おれの前で先輩は、ずっとカッコいい先輩であろうとしていた。そんな先輩は、おれは車屋の社長という人に会ったことはないが、どの車屋の社長よりも魅力的で、カッコよく見えた。いくらおにぎりも、ジュースも、何杯も飲んだ生ビールも、たまにわけてくれた家のおにぎりも、全部カッコいい先輩のかけらだ。そんな先輩がおれは大好きだった。

 

2017.09.17

長崎の街へ着くと、雨は弱くなっていた。台風とはすれ違いになっていたらしい。リハーサルが終わる頃には、外はすっかり晴れていた。雨上がりの長崎の街並はいつにも増してとても綺麗で魅力的に見えた。THE FOREVER YOUNGのライブで少し泣いた。あの人たちの音は、くにさんの言葉は、くにさんの目は、人の心ど真ん中に突き刺さってくる。"頑張れ"なんて何の捻りもないど直球の言葉をあんなに大きな声で叫ぶくにさんは、誰よりも真っ直ぐ、その言葉の強さを信じている。あの人は平気で、「今日はお前らのために歌うからよ」とかライブ前に言ってくる。ステージの上で「今日は友だちのためにこの歌歌う」って叫ぶ。何度もフロアで見ているおれに歌いながら拳をむけたり、目を合わせ笑顔を向けたりする。自分のために歌うと言っている人の方が、孤独でカッコよく見えるときがある。でもくにさんは馬鹿なぐらい真っ直ぐ、誰かのために歌っていると公言する。その真っ直ぐな青さに、おれはいつも背中を押される。心を動かされる。あんな人、おれは今まで出会ったことがなかった。くにさんは運転待機らしく打ち上げには出なかった。打ち上げ場所の居酒屋で出てきたピッチャーのビールが今まで飲んだ事ないぐらい不味くて、一杯も飲まないまま柚子サワーみたいな名前のお酒を頼んだが、慣れない味に酒はまったく進まなかった。ホテルに戻ってシャワーを浴び、ベッドの上iPhoneをいじっていると目が疲れてきたのでアラームをセットして寝た。

 

 

2017.09.16

朝起きると声がガサガサになっていた。おそらくもともと風邪気味だった喉に打ち上げで長時間ビールと大声という負担をかけたせいだ。自業自得だと思いながら、前の日の打ち上げ終わりにシャワーを浴びながらご機嫌で歌を歌っていた自分を恨んだ。大分の街を歩きドラッグストアを探した。入ったお店の薬剤師のおじさんにどの薬が即効性があって1番効くか聞いてみた。奈良からバンドで来てて、という話もした。オススメしてくれた薬を買うと、おまけで試供品の風邪薬を2つつけてくれた。その優しさで、風邪なんて治った気がした。リハーサル終わり、あまり喋らない方がいいと薬局のおじさんに言われたのでまた1人でとぼとぼ歩いていた。雨上がりの公園は腰をかけれるような場所がないからあまり好きじゃない。途中で大きな建物の屋根の下に石のベンチがあったのでそこに座っていた。気がつくとまた寝ていた。寒くなったので戻ろうと思い歩いていると良い感じの古着屋を見つけた。とても好きな感じだった。買いたい服が何個かあったがお金がなかったので我慢した。店の前にあったハコの中にデッキシューズが無造作に沢山入っていた。ハコには全部500円と書かれた紙が貼ってあった。もう役目を終えたのか、ただ処分されるのを待っているのか、くたびれて汚くなったデッキシューズはとても美しく魅力的に見えた。茶色のデッキシューズを一足買った。アメリカの土地を歩き回っていたのか、大分の土地を歩き回っていたのか、もしくは全然違うところか、まったくわからないが、これからは奈良の土地を、ツアーで回る全国の土地を、いっしょに踏み倒して行く。古着屋で靴を買うのは初めてで、そんなことを頭で想像しては、いやただ古着屋で靴買っただけやぞと自分で少し可笑しくなっていた。

ライブは無事終わった。終わって機材を搬出したあと、待ってくれていたお客さんと話をしていた。おれは喉が良くなかったので打ち上げには出ず、1人ご飯を食べてホテルに戻ろうとしていた。オススメのラーメン屋さんをいくつか聞いて、じゃあなと別れようとしたとき福岡から来たというお客さんがおれに傘をくれた。その子は、駅までならアーケードの中なので濡れないし、もしアーケード抜けても友だちといっしょに傘に入るから大丈夫と言って、ビニール傘を渡してくれた。別に大したことではないのかもしれないが、凄く嬉しかった。それだけで、誰かに親切ができるぐらいには気持ちが明るくなっていた。朝の薬局のおじさんといい、世界はこうして回っているんだなと思った。世界はこうして回るべきだと思った。駅前のラーメンを食べて、賑やかな土曜の晩の大分の街を歩いた。打ち上げに出ないとやっぱりなんだか少し寂しかった。コンビニでビールでも買って帰ろうかと思ったが、なんとなくやめた。ホテルに戻ってコインランドリーで服を洗い、忘れないように貰った傘をドアのぶにかけた。シャワーを浴びて壊れかけの加湿器の音の中明日に備えて寝た。

 

高3の文化祭

池永先生はおれの目を見てただじっと話を聴いてくれた。

学校を辞めたかずまは最後の文化祭に出ることは出来なかった。学校の決まりで生徒しか文化祭のステージに立つことは出来ない。それでも翔太は最後はこのメンバーでやりたいと強く言った。おれたちも翔太の意見と同じだった。おれたちはかずまをなんとか文化祭に出すための作戦を立てた。当日おれはもう1つのバンドで先にライブがあった。おれはそのバンドのメンバー全員分の衣装をあろうことか家に忘れてきてしまった。衣装は、白Tシャツをビリビリに破いてカラースプレーで適当に塗りまくるというものだった。なのでおれは自転車にまたがり学校の近くの百均に急いでTシャツを買いに行った。戻ってきたとき、見張りをしていた先生に外に出ていたことがバレた。どうやら外に出ることはダメなことだったようだ。文化祭の日ぐらいいいと思っていた。なぜか学年主任まで出てきて怒られた。授業ボイコットに値する、みたいなことを言われた。学年主任はかずまが辞めた理由そのものだった。かずまはそいつのことが大嫌いだった。おれもそいつのことが大嫌いだった。女子贔屓、セクハラの噂、かずまへの態度、18のおれたちが嫌うだけの理由がそいつには揃いすぎていた。そいつが「なんでおれをもっと頼らへんねん!」と熱い教師ぶった台詞をおれに投げつけた。まず相談してから買いに行け、という意味だ。頼ろうなんて思えなかったのは誰のせいだと、その場で叫びたかったがおれにそんな度胸はなく、心の中でもやもやする気持ちを抑え込んでいた。こいつはずっと何を言ってるんだ、誰のせいでかずまが辞めるまで追い込まれたと思ってるんだ、なんで今こんな奴に怒られているんだ、わからないまま悔しくなって目を睨むことしかできなかった。目頭が熱くなって涙が出そうになったのを唇を噛んで堪えた。もしかしたら少し流れていたかもしれない。それぐらい悔しかった。偽物の汚れた正義を平気な顔でぶつけてくるそいつが憎かった。説教は終わった。その様をずっと見ていた池永先生は心配してくれたのか職員室の前の廊下におれを呼び出した。限界地点まで悔しくなっていたおれはそのときになぜ学年主任を頼ろうと思えなかったのか、あいつが言っていたことがどんなに矛盾しているかの話をした。これを学年主任に直接言えなかったのがおれの弱いところだ。池永先生なら怒らず聞いてくれるだろうという根拠のない大きな自信があった。話ししている途中で、堪えていた涙がついにボロボロと瞼から流れ落ちていった。どういう感情かさっぱりわからなかった。教師の前でそんなに泣いたのは初めてだった。池永先生はそんなおれに「本当に困ったときは、おれに言いにこい。絶対助けるから。」と言った。その優しい言葉に包まれたような感覚がして、また涙が出てきた。

1つ目のバンドの出番があったのでおれは心が落ち着かないまま中庭のステージ袖に戻り、買ってきた白Tシャツをメンバーと予定通りビリビリに破り、カラースプレーで塗りたくった。それがカッコいいものだったかどうかは置いておくとして、破きすぎてほぼスカーフになった白Tシャツをおれは首に巻き(この時点でスカーフ)、ライブをした。
出番が終わり、その何バンドかあとにもう1つのバンドの出番が控えていた。

待っている間、ずっと考えていた。本当にかずまを出していいのか、もしバレたらおれたちの代でバンドが文化祭で演奏することができなくなるかもしれない。バンドをしている生徒たちは何らかの校則違反で謹慎処分を受けていた者が歴代何人かいて、教師からあまり良い目で見られていなかった。それに加えておれのさっきの失態だ。少し怒られたぐらいでおれは臆病になっていた。時間がない、どうする、と悩んでいたときついさっきの池永先生の言葉を思い出した。今が本当に困ったときなんじゃないか。あの人なら、おれの話を聴いてくれる。ほんの10分ぐらいの会話で、おれはそのことを確信していた。おれは今まで考えもしなかった、"教師にかずまといっしょにステージに立つ許可を得る"という選択肢をとろうと思った。急いでメンバーみんなに事の経緯を話に行った。優しいメンバーは、少し不安な表情を浮かべながらみんな納得してくれた。近くのイオンで待機していたかずまにもメールで伝えた。もともとこの作戦には現役で生徒のおれらにかかるリスクの方が大きいと思っていたかずまもすぐに納得してくれた。もう出番が迫っていた。おれたちは急いで池永先生を探した。二手に別れて校舎中を走り回った。職員室には既にいなかった。中にいた先生に池永先生がどこにいるかを聞くと2ヶ所ぐらい推測で教えてくれた。時間がない。急いで理科準備室に行きドアを開けた。白衣を着た池永先生が驚いた顔をして椅子に座っていた。そこにいたことに安堵したが、目的は会うことじゃない。二手に別れていた2人もこちらに来た。おれは走り回っている間、池永先生に話をした途端にもしかしたら怒鳴られるんじゃないかと少し不安になっていた。もしかしたらこの判断は間違っていたかも、こんなお願い通じる訳ないのかも、黙ってそのまま元の作戦を決行した方がよかったのかも、とまた臆病になっていた。恐る恐る、事の経緯を説明した。かずまはもうすぐ近くまで来ていることも話をした。池永先生はおれの目を見てただじっと話を聴いてくれた。おれは、話の途中で絶対何を言ってるんだと反対されると思っていた。おれは最後まで話を聴いてもらえたことに驚いていた。話を聴き終えた池永先生は「うーーん…」とわかりやすく困った表情をした。どっちだ?みんなじっと池永先生を見ていた。「これは、おれ1人の判断で許可できるものではないから、難しい。でも、学年主任と教頭に、おれから頼んでみる」と池永先生は言った。「マジすか!?」とおれたちの中の誰かが言った。おれたちはまだかずまが出れると決まった訳じゃないのに喜んだ。池永先生がそう言ってくれたことが本当に嬉しかった。「出れるって訳じゃないし、凄く難しいことやからな。おれが頼んでも難しいと思うから、覚悟はしといてや。」と、池永先生はまた少し笑いながら真剣な目でおれらに言った。「はい!お願いします!」おれらは教室を出た。「いい先生やな」と翔太が言った。おれは少し誇らしげだった。ただ安心している時間はない。ステージ袖に戻り急いでかずまに連絡してどうなったか話をした。一応、かずまが出れなかったときのために頼んでいたベーシストにもライブに出る準備をしてもらっていた。すると学年主任がこちらに走ってきた。後ろから、池永先生も歩いてこちらに来た。学年主任は池永先生から話を聞いたようだった。「話は聞きました。気持ちは凄くわかる。けどな、校則でそれは許されへんねん。もしお前らを許したら、その次また同じようなことがあったらそいつらはどうするねんってなるやろ。お前らだけ特別にするわけにはいかへんねん。申し訳ないけど、許可はできひん。」大正論だった。心の準備はしていたがどこか期待していた部分もあった。ショックだった。「でも、かずまは近くまで来てるんよな。特別に、中庭に入ることは許したる。ステージに立つことは許されへんけど、横で見るのは許したる。」と言った。おれたちは複雑な気持ちだった。池永先生が申し訳なさそうにこちらを見ていた。「ごめんな。あかんかった。」池永先生が言った。あとから、池永先生ほんとに必死に頭下げてたよって、それをたまたま見ていた友だちから話を聞いた。おれはそのとき池永先生のこのときの顔を思い出してまた泣きそうになった。そんな先生いるんだって、不思議な気持ちになった。

いよいよ出番直前になったとき、中庭のステージ袖にかずまの担任だった大久保先生が来た。大久保先生はおれを見るなりいきなり肩を掴んで「増子、かずま来てるってほんまか!?もっと早くに言うてくれてたら、なんとかできたかも知らへんかったのに、なんで言うてくれへんかったんや!!」と目頭を熱くしながら強い言葉でおれに言った。おれは一瞬パニックになった。なんなんだ、相談なんて、していいと思うわけないじゃないか。みんなずるい、終わってからそんなこと言うな。頼ってよかったのならおれだってそうしとけばよかったって思う。"もっと早くに言ってくれ"はこっちのセリフだ。そんなことを思ったが、あまりの先生の本気具合と嘘1つない瞳に圧倒され、ごめんなさいの一言しか出なかった。先生はおれに、かずまを呼んでくれてありがとう、と小さな声で強く言った。

おれたちはいつもと違う5人でステージに上がった。客席にはかずまがいた。必死に練習したRADWIMPSの曲を演奏した。ライブのことはあまり覚えていない。

 ライブが終わり、文化祭1日目も終わり、その日は教室に戻ってホームルームがあった。おれはホームルームが始まるまで廊下で友だちと喋っていた。すると廊下の向こうからかずまの姿が見えた。かずまのクラスは10組、おれのクラスは9組で隣だった。少し恥ずかしそうにかずまが教室に入った。するとかずま!?という何人もの大きな声が聞こえた。10組のみんなはかずまが来ていたことを当たり前だが知らなかった。10組はしばらくガヤガヤと賑やかだった。かずまは愛されてるなと思った。教室に響き渡る沢山の嬉しそうな声を聞いたとき、あのとき池永先生に相談するという選択をしてよかったと初めて思った。

この日で教師の見方が少し変わった。これからもきっと忘れない、高3の秋の話。