goodbye,youth

増子央人

2020.07.12

約4ヶ月ぶりにお客さんの目の前でライブをした。奈良ネバーランドをはじめ、色んな人の協力があって昨日が成り立った。他のライブハウスで働いている友だちたちも来てくれて、映像配信のスタッフとして協力してくれた。今はライブに来たくても来れない人たちが沢山いる。3日ほど前、チケットを取っていたがライブに行っていいのかずっと葛藤していた医療従事者のお客さんのツイートを見た。沢山悩ませて申し訳ないと思ったが、それだけ真剣に考えてくれていたことへの感謝の気持ちも大きかった。ライブに行く、ライブに行かない、どちらの選択も間違っていない。だから難しい。その人にメッセージを送ろうか当日まで迷っていたが、そもそもどんな言葉をかけたいのか、結局何もわからず、送らないまま下書きを削除した。今日はチケット取ってくれたけどやっぱり悩んで来ない人もいると思う、という話を楽屋でその友だちにした。あー、そうか…。今日の配信、マジで頑張るわ。とても真剣な目でそう言ってくれた。いいやつだな、と思った。

ライブ中に見えた客席の雰囲気がとても懐かしかった。マスクをしていても、みんなの表情はちゃんとわかった。アンコールまで終わりステージから袖にはけるとき、客席から大きな声で、ありがとう!と聞こえた。終演後、おつかれと言ってくれた、配信を手伝ってくれていた友だちの目は赤くなっていた。アンコールは配信が終わっていたから、最後の一曲、See you in my dreamだけ客席から見てくれたらしい。まだライブハウスでこんな景色が見れたんだって嬉しくなった、おれも自分のライブハウスで頑張るわ。と言っていた。その言葉には彼のこれまでの沢山の悩みや葛藤が重なっていた。

「どうかライブハウスがなくなりませんように」。七夕の短冊にそう書けばよかった。どうして「身体が柔らかくなりますように」なんて書いたんだろう。

2020.07.08

強い雨風の音で目が覚めた。ベランダの手すりにビニール紐だけで固定していた向日葵のプランターが心配になって窓から外を見たが、落ちてはいなかった。中に入れたほうがいいか一瞬迷ったが、雨に濡れるのが嫌だったのでそのまま放置した。あれほど愛着が湧いていたのに、まあ下に落ちたら落ちたで仕方ないか、と思った自分に驚きはしなかった。今までにもそういうことはあった。雨風が止んだ昼間にベランダを見てもプランターは落ちていなかった。よかった、と思った。

夕方、グッズ撮影をするために許可を取って奈良県内の学校へ行った。敷地内に入ってすぐ、大学時代の同級生と会った。その友だちはそこで教師をしていた。知らなかったのでとても驚いた。車から降りて少し話をした。まだiPhoneに増子の飲み会のときの動画あるで、と言われて懐かしい気持ちになったのと同時にきっとろくな動画ではないので消してほしいとも思ったが言わなかった。先生になって今何年目?と聞くと、6年目、と言われ、少し考えたらわかることだが、改めてその数字を言われると、なんだか信じられなかった。6年目なんて、もう中堅やん。何その響き。そう思ったことをプールサイドでなおてぃに話すと、なるよな〜、なんか大学の頃ぐらいから何も変わってない気するよな、と言っていた。久しぶりに見た学校のプールは小さかった。あの頃あんなに長いと思ってた25mは、こんなもんやったんか。大人になったんだと思った。えーすけは何度もプール入りたいわあと言いながらプールサイドを歩いていたが、先生も見ていたし、さすがに飛び込んだりはしなかった。大人になったんだと思った。

7日の夜にドラム動画を公開した。Age Factoryの曲のドラムは難しいフレーズも複雑なビートもないが、今自分にできることをやってみようと思い、友だちに動画を撮ってもらった。録音、mixをしてくれた祐一と映像、編集をしてくれたはーちゃんはお互い違うバンドで10代の頃からいっしょにライブをしてきた。その2人と今こういう形で何かをできたことも嬉しかった。動画は奈良ネバーランドで撮った。結局1人では何もできないので、色んな人が手伝ってくれて、良いものができた。沢山の人に見てほしい。

 

 

 

 

 

 

2020.07.06

つい先日、ホームセンターで向日葵の種を買ってきて、それをベランダで育てている。小さなプランター1つと、カップ麺の容器1つを使って、人生で初めて自分1人で植物を育てている。カップ麺の容器を使っている理由は、以前見た映画で主人公の家族がそれで植物を育てていて、自分でも試してみたくなったからだ。今まで黄色はあまり好きな色ではなかったが、髪を黄色にしてから、黄色いものに愛着が湧くようになった。向日葵も、あの太陽のような笑顔、底抜けの明るさが昔はあまり好きではなかったが、今はそんなに嫌いじゃない。まあわざわざ選んで買ったんだからそらそうなんだけど。何日か前にすべての種から芽が出ていた。嬉しくて写真を撮った。外を散歩しているとき、今まで気にも留めていなかったのに、それぞれの家の玄関前に置かれているプランターに目がいくようになった。あの花の名前は何だろう、あそこ日当たり悪そうだけど大丈夫かな、てかここもうほぼ道路やん、家の敷地超えてるやん、などを歩きながら思っている。新しい自分に出会ったような感覚になれて、少し楽しい。炭酸の抜けたビールが植物の成長を促すらしく、いつも温くなった缶ビールを残してしまうおれにはちょうど良かった。昨晩飲み切れなかった金麦を今朝初めて向日葵の芽にかけた。それだけでまたグッと親近感というか、愛着のようなものが湧いた。同じ盃を交わしたような気持ちになった。これもまた、植物に初めて抱く感情だった。

連日の雨で気持ちまで晴れない日々が続いている。本を読む気にもなれず、1ヶ月以上前に買った映画のDVDもまだ観ていないものが2本ある。今まで有料動画配信サービスには何も登録していなかったのに、最近は家にいるときずっと、先月登録した大阪チャンネルで過去の劇場でのお笑いライブばかり見ている。何も考えずにただ笑いたい。

少し前に、人生で初めて、仲の良い先輩からデモに誘われた。人種差別反対デモだった。誘うというよりは、こういうデモがあって、おれは参加する、ということを教えてくれた。きっと色々考えた結果直接的に誘わず、そういう教え方をしてくれたんだろうと思う。その日はバイトがあったので断ったが、バイトがなくても断っていたと思います、と返信した。デモに反対しているわけではなく、コロナ禍だからとかではなく、人種差別に対してそこへ参加するだけの強い気持ちが自分にはなかった。その人の行動力や姿勢を、尊敬、関心、羨望、どれも完全にしっくりは来ないがそういう類の感情を持ちながら、ただ遠くから見ていた。2年付き合っていた彼女からある日自分は在日韓国人だということを打ち明けられたのでその彼女と別れたと言っていた友だちのことや、去年までバイト先の居酒屋で一緒に働いていた中国人社員のことをなんとなく思い出した。

バイト先では子どもたちが短冊に願い事を書いて笹の葉に括り付けていた。「お母さんと旅行に行けますように。」「ポケモンになりたい。」色々な願い事が書かれていた。他人の願い事を見ているだけで、幸せな気持ちになった。

 

 

2020.06.27

マスクをつけたピエロが駅前でパフォーマンスをしていた。周りの人たちはそれを離れた場所から横目で見る程度で、ちゃんと見ている人はいないようだった。少し経ってから1人の男の子がピエロの目の前まで近付いて、コミカルな動きをじっと見つめていた。ピエロは風船で剣を作って、男の子に手渡した。男の子は嬉しそうに笑いながら剣を振り回して、近くで見ていた母親の元へ走って行った。目の前にいる人に向けられた全力のパフォーマンスを久しぶりに見た気がして、それがあまりにも尊くて、酷く感動した。やっぱり、あれは何にも変えられない。この先どれだけ映像技術が発達しても、それが空間を共有することの価値を補うだけのものには成り得ないんだと、改めて思った。それらはまったく別物なので、それぞれの代わりにはならない。

昨日外を歩いていると、スーパーの前に置かれた自転車の横で、下を見ながら右手の指でサドルを弾いている女の人を見た。イヤホンをつけていた。指の動きから、ピアノの練習をしているように見えた。その場からじっと動かず、指だけがサドルを弾き続けていた。集中していたのかただボーッとしていたのかわからなかったが、手元を見るでもなく、空間の匿名的な一点を見つめる目が印象的だった。駅前では数人が輪になって体を揺らしながらフリースタイルをしていた。おれはコンビニで買ったスイカバーを食べながらその前を通った。イヤホンから大好きなJimi Somewhereが流れていた。みんな音楽のことを考えていた。久しぶりに食べたスイカバーは食べ切るより先に溶け出してしまった。スイカバーってこんなでかかったっけ。

 

 

2020.06.17

ハヌマーンばかり聴いていた先週の火曜日、天気予報が明日から雨だと言っていたのでホタルを探しに行った。原付で夜の町を走った。町からカブトムシの匂いがした。正確には、カブトムシがいそうな木の匂いがした。半袖で受けた風が少し冷たかった。原付を止めて歩いていると、小川の近くで数匹のホタルを見つけた。闇に浮かぶ小さな光はハッキリと見えているのに動画にはほとんど映らなかった。何度見ても神秘的なあの光を、手に入らないから美しいとわかっているのに、いつも持って帰りたいと思ってしまう。公園の中にあるその場所は人に管理されていて、ホタルがいる場所には近づけないようにロープが張られていた。見に来ている地元の人も何人かいた。帰り道、どこか別の、自分だけが知っているようなホタルが出る場所を見つけたいと思い、色んな道を寄り道したがホタルはどこにもいなかった。別に持って帰るわけでもないのに、この手の中で、より近い場所であの光を見たいと思ってしまった。遠くからでも充分なのに。草についた雨粒が月明かりに反射して放つ光や遠くの小さな家の明かりを何度もホタルの光と勘違いした。

その前の日の昼、水田を泳ぐカブトエビを見つけた。それを見て思い出すのはやっぱり小学生の頃捕まえた大量のカブトエビをペットボトルに入れて持って帰ろうとしていた内山のことだった。その水田は太陽の光を反射してキラキラと光っていた。海みたいだった。初夏の田んぼがこんなに綺麗に見えたのも、田んぼ以外の何かに見えたのも初めてだった。

今日は家の近くの横断歩道で大学時代の同級生と会った。今高校の先生をしているそいつは、大学時代に付き合っていた彼女と結婚して、子どもができて、最近マイホームを購入したと言っていた。久しぶりに話したそいつは当時から何も変わっていなかったが、もう随分、遠くの人のように感じた。

 

 

 

2020.06.08

ドラムという楽器が好きになったのは確か小学生の頃、音楽の授業の合奏でいつも小太鼓を選んでいた。そのときに音楽の先生にドラムという楽器の存在を教えてもらい、大太鼓と小太鼓とシンバルを1人で叩ける?なんだその夢のような楽器は!と興奮した。でも今年の1月にもここに書いたが実は保育園の頃から太鼓が好きだったということを実家のアルバムを見て知った。

中学に入ってバスケのことしか考えていなかったおれはドラムのことなんてすっかり忘れて授業中、どうすればダンクシュートができるようになるかばかり考えていた。そんな中2の冬、練習中に左足を怪我した。全治2ヶ月と言われ試合にも出れなくなり絶望、色んなやる気を失いかけていたときに親から気分転換とリハビリがてらドラム始めてみたら?と言われ、そんなのあったなそういえば、やってみるか、バスケできないし、ぐらいの気持ちで貯金していたお年玉で電子ドラムを買った。何もわからなかったのでレッスンに通うことにして、近所の小さな音楽教室に通い出した。そこで初日に見た、ジャズドラムをしていた先生の衝撃的なドラムソロにその場で倒れそうになるほどの衝撃を受けた。何がなんだかわからなかったが大きな音とビートに心が動いた。二駅分ぐらいは動いた。練習を重ねて叩けるようになっていくのがとにかく楽しかった。ワクワクした。しかし一年ぐらい経った頃に難しいコピー曲に当たって心が折れかけ、折れかけていたところに次のレッスンまでに耳コピでその曲の譜面を書いてみよう、書くことも練習だから。ということになりおれの心はポキリと折れた。プリッツのポッキーの先端をデコピンで弾いたときぐらいの勢いで折れた。めんどくせーやってられっかそんなこと。譜面なんか書きたくねー。そんなことは言えず、結局何も言わずにレッスンに通わなくなりフェードアウトで辞めるかたちになった。

ちなみに先生とは、おれが高校生の頃通っていた予備校に先生がクロネコヤマトの配達員として来たときに再会した。ドラムのレッスンは辞めてクロネコヤマトに就職したと言っていた。その2年後ぐらいに突然電話がかかってきて、「お金持ちになれる話があるんだけど、今度の講習会に来ない?」と言われ、何とも言えない気持ちになった。先生あんなにドラムうまかったのに。講習会には行かなかった。

高校に入ってバスケのことしか考えていなかったおれはドラムのことなんてすっかり忘れて授業中、もし明日ダンクできるようになっていたらたぶんどっかから取材が来てすげーことになるだろうな、日本人史上最も背の低いスラムダンカー現る!みたいな感じで月バスの表紙とかなるかも、やっべー。ということばかり考えていた。そんな高一の夏、ドラムできるらしいな!バンドやろや!文化祭出よや!と友だちに誘われてコピーバンドを組むことになった。その秋の文化祭のステージで見た3年生のバンドのドラマーがとてつもなく上手くてカッコよかった。ドラム人生で二度目の衝撃。ちなみにそのドラマーは今ARSKNでドラムを叩いている恭介くん。おれはあの日以来ずっとあの人に憧れている。そしてそこからまたドラム熱が再来、高校3年間が人生で一番ドラムの練習をしたように思う。このときにえーすけとなおてぃと出会った。えーすけはこの頃からAge Factory、なおてぃは別のバンドのベースだった。そして大学に入りバスケを辞め、奈良で活動していたDROP CLOCKというバンドがドラムを募集していたのでそこに飛び込んだ。一度ライブを見たことがありあのバンドに入りたいと思った。その少し後にAge Factoryに加入し、色んなことがあり、今に至る。

良いビートを聞けばどんな素人でも知らないうちに手でリズムを刻んだり体を揺らしたりする。打楽器は世界で最も古い楽器、まだ言葉もない時代の民族も戦いに行く前には太鼓を叩いて戦士を鼓舞した。らしい。そうかだからドラムの音を聞くと勝手に体が動くのか。大昔からそうなんだ。細胞が反応するんだ。そして時には体だけでなく心まで動かす。おれはドラムのそういうところが好きなんだと思う。

なんだか書いて置きたくなったので長々と書いた。ドラムの話。

2020.06.01

ライブのない日々、生産性のない無意味な時間を過ごしていると以前よりも強い罪悪感に駆られて部屋ですら居心地が悪く感じてしまう。何か新しいものを聴かなければ、何か新しいものを見なければ、何か新しいものを読まなければ。しかし実際はそう思っているだけで、流れていく生活に溺れないよう必死に泳いでいると日々がいつの間にか過ぎて行き気がつけば六月、結局何をしていてもうっすらと罪悪感のようなものが消えない。そんな中に見たGEZAN石原ロスカルのドラム30時間に、心底感動した。おれたちは、おれは、絶対にしないし、そもそもあんなことできない。また馬鹿なことをしている、なんて不器用な、そう思いながらもなぜか気になってその日は1日中心がざわざわしていた。

バイトを終えて帰ってきたら石原は叩き始めていた。あー、またやってるわ。晩飯を食べてシャワーを浴びて寝る前に恐る恐るもう一度覗いて見た。まだやってる。そういう企画だからそりゃそうなのだが、あぁ、マジでまだ叩いてるこいつ。映画セッションを見たときと同じ気持ちになった。いつもの時間にアラームをセットして寝た。朝起きてバイトへ向かう前、一応、また覗いてみた。やっぱり叩いてる。疲労した顔で、また海の前で叩いていた。昨日よりもビートにキレが出ている気がした。そんなことあるか?原付を飛ばしてバイトへ向かう。バイト中もソワソワしていた。あいつ今も叩き続けてるのか。バイトから帰ってきて晩飯を食べながら今度はしっかりと配信を見た。30時間叩き続けたあとのドラマーが後ろに構えるGEZANのライブを見てみたかった。ライブに入る前の最後の方はステージのような場所で叩いていたので、てっきり石原の周りに3人が集まってきてライブに入るのだろうと思っていたら、石原は左手に持ったカウベルのようなものを叩きながら立ち上がって歩き出した。少し歩くとギターの音が聞こえてきた。波打つ海の前、砂浜の上にセッティングを済ました3人が立っていた。映画を観ているのかと思った。とにかく綺麗だった。アンコールを終えたあと、イーグルさんが海に行こう!と言って波打ち際へ1人で飛び込んで行った。ホームボタンを押して、iPhoneを机の上に置いて、すっかり止まっていた晩飯の続きを食べた。そのあとLOSTAGEの奈良ネバーランドでの配信ライブを見た。おれはやっぱり血の通った音が好きなんだと思った。

もうすぐホタルの見頃の時期になる。実家の近くの田んぼの用水路では毎年ホタルを見ることができた。この前空を見上げると、入道雲が見えた。机の上に置いていたチョコレートは夕方には溶けて柔らかくなっていた。もうすっかり夏が来ていた。