goodbye,youth

増子央人

2020.06.08

ドラムという楽器が好きになったのは確か小学生の頃、音楽の授業の合奏でいつも小太鼓を選んでいた。そのときに音楽の先生にドラムという楽器の存在を教えてもらい、大太鼓と小太鼓とシンバルを1人で叩ける?なんだその夢のような楽器は!と興奮した。でも今年の1月にもここに書いたが実は保育園の頃から太鼓が好きだったということを実家のアルバムを見て知った。

中学に入ってバスケのことしか考えていなかったおれはドラムのことなんてすっかり忘れて授業中、どうすればダンクシュートができるようになるかばかり考えていた。そんな中2の冬、練習中に左足を怪我した。全治2ヶ月と言われ試合にも出れなくなり絶望、色んなやる気を失いかけていたときに親から気分転換とリハビリがてらドラム始めてみたら?と言われ、そんなのあったなそういえば、やってみるか、バスケできないし、ぐらいの気持ちで貯金していたお年玉で電子ドラムを買った。何もわからなかったのでレッスンに通うことにして、近所の小さな音楽教室に通い出した。そこで初日に見た、ジャズドラムをしていた先生の衝撃的なドラムソロにその場で倒れそうになるほどの衝撃を受けた。何がなんだかわからなかったが大きな音とビートに心が動いた。二駅分ぐらいは動いた。練習を重ねて叩けるようになっていくのがとにかく楽しかった。ワクワクした。しかし一年ぐらい経った頃に難しいコピー曲に当たって心が折れかけ、折れかけていたところに次のレッスンまでに耳コピでその曲の譜面を書いてみよう、書くことも練習だから。ということになりおれの心はポキリと折れた。プリッツのポッキーの先端をデコピンで弾いたときぐらいの勢いで折れた。めんどくせーやってられっかそんなこと。譜面なんか書きたくねー。そんなことは言えず、結局何も言わずにレッスンに通わなくなりフェードアウトで辞めるかたちになった。

ちなみに先生とは、おれが高校生の頃通っていた予備校に先生がクロネコヤマトの配達員として来たときに再会した。ドラムのレッスンは辞めてクロネコヤマトに就職したと言っていた。その2年後ぐらいに突然電話がかかってきて、「お金持ちになれる話があるんだけど、今度の講習会に来ない?」と言われ、何とも言えない気持ちになった。先生あんなにドラムうまかったのに。講習会には行かなかった。

高校に入ってバスケのことしか考えていなかったおれはドラムのことなんてすっかり忘れて授業中、もし明日ダンクできるようになっていたらたぶんどっかから取材が来てすげーことになるだろうな、日本人史上最も背の低いスラムダンカー現る!みたいな感じで月バスの表紙とかなるかも、やっべー。ということばかり考えていた。そんな高一の夏、ドラムできるらしいな!バンドやろや!文化祭出よや!と友だちに誘われてコピーバンドを組むことになった。その秋の文化祭のステージで見た3年生のバンドのドラマーがとてつもなく上手くてカッコよかった。ドラム人生で二度目の衝撃。ちなみにそのドラマーは今ARSKNでドラムを叩いている恭介くん。おれはあの日以来ずっとあの人に憧れている。そしてそこからまたドラム熱が再来、高校3年間が人生で一番ドラムの練習をしたように思う。このときにえーすけとなおてぃと出会った。えーすけはこの頃からAge Factory、なおてぃは別のバンドのベースだった。そして大学に入りバスケを辞め、奈良で活動していたDROP CLOCKというバンドがドラムを募集していたのでそこに飛び込んだ。一度ライブを見たことがありあのバンドに入りたいと思った。その少し後にAge Factoryに加入し、色んなことがあり、今に至る。

良いビートを聞けばどんな素人でも知らないうちに手でリズムを刻んだり体を揺らしたりする。打楽器は世界で最も古い楽器、まだ言葉もない時代の民族も戦いに行く前には太鼓を叩いて戦士を鼓舞した。らしい。そうかだからドラムの音を聞くと勝手に体が動くのか。大昔からそうなんだ。細胞が反応するんだ。そして時には体だけでなく心まで動かす。おれはドラムのそういうところが好きなんだと思う。

なんだか書いて置きたくなったので長々と書いた。ドラムの話。