goodbye,youth

増子央人

2020.06.27

マスクをつけたピエロが駅前でパフォーマンスをしていた。周りの人たちはそれを離れた場所から横目で見る程度で、ちゃんと見ている人はいないようだった。少し経ってから1人の男の子がピエロの目の前まで近付いて、コミカルな動きをじっと見つめていた。ピエロは風船で剣を作って、男の子に手渡した。男の子は嬉しそうに笑いながら剣を振り回して、近くで見ていた母親の元へ走って行った。目の前にいる人に向けられた全力のパフォーマンスを久しぶりに見た気がして、それがあまりにも尊くて、酷く感動した。やっぱり、あれは何にも変えられない。この先どれだけ映像技術が発達しても、それが空間を共有することの価値を補うだけのものには成り得ないんだと、改めて思った。それらはまったく別物なので、それぞれの代わりにはならない。

昨日外を歩いていると、スーパーの前に置かれた自転車の横で、下を見ながら右手の指でサドルを弾いている女の人を見た。イヤホンをつけていた。指の動きから、ピアノの練習をしているように見えた。その場からじっと動かず、指だけがサドルを弾き続けていた。集中していたのかただボーッとしていたのかわからなかったが、手元を見るでもなく、空間の匿名的な一点を見つめる目が印象的だった。駅前では数人が輪になって体を揺らしながらフリースタイルをしていた。おれはコンビニで買ったスイカバーを食べながらその前を通った。イヤホンから大好きなJimi Somewhereが流れていた。みんな音楽のことを考えていた。久しぶりに食べたスイカバーは食べ切るより先に溶け出してしまった。スイカバーってこんなでかかったっけ。

 

 

2020.06.17

ハヌマーンばかり聴いていた先週の火曜日、天気予報が明日から雨だと言っていたのでホタルを探しに行った。原付で夜の町を走った。町からカブトムシの匂いがした。正確には、カブトムシがいそうな木の匂いがした。半袖で受けた風が少し冷たかった。原付を止めて歩いていると、小川の近くで数匹のホタルを見つけた。闇に浮かぶ小さな光はハッキリと見えているのに動画にはほとんど映らなかった。何度見ても神秘的なあの光を、手に入らないから美しいとわかっているのに、いつも持って帰りたいと思ってしまう。公園の中にあるその場所は人に管理されていて、ホタルがいる場所には近づけないようにロープが張られていた。見に来ている地元の人も何人かいた。帰り道、どこか別の、自分だけが知っているようなホタルが出る場所を見つけたいと思い、色んな道を寄り道したがホタルはどこにもいなかった。別に持って帰るわけでもないのに、この手の中で、より近い場所であの光を見たいと思ってしまった。遠くからでも充分なのに。草についた雨粒が月明かりに反射して放つ光や遠くの小さな家の明かりを何度もホタルの光と勘違いした。

その前の日の昼、水田を泳ぐカブトエビを見つけた。それを見て思い出すのはやっぱり小学生の頃捕まえた大量のカブトエビをペットボトルに入れて持って帰ろうとしていた内山のことだった。その水田は太陽の光を反射してキラキラと光っていた。海みたいだった。初夏の田んぼがこんなに綺麗に見えたのも、田んぼ以外の何かに見えたのも初めてだった。

今日は家の近くの横断歩道で大学時代の同級生と会った。今高校の先生をしているそいつは、大学時代に付き合っていた彼女と結婚して、子どもができて、最近マイホームを購入したと言っていた。久しぶりに話したそいつは当時から何も変わっていなかったが、もう随分、遠くの人のように感じた。

 

 

 

2020.06.08

ドラムという楽器が好きになったのは確か小学生の頃、音楽の授業の合奏でいつも小太鼓を選んでいた。そのときに音楽の先生にドラムという楽器の存在を教えてもらい、大太鼓と小太鼓とシンバルを1人で叩ける?なんだその夢のような楽器は!と興奮した。でも今年の1月にもここに書いたが実は保育園の頃から太鼓が好きだったということを実家のアルバムを見て知った。

中学に入ってバスケのことしか考えていなかったおれはドラムのことなんてすっかり忘れて授業中、どうすればダンクシュートができるようになるかばかり考えていた。そんな中2の冬、練習中に左足を怪我した。全治2ヶ月と言われ試合にも出れなくなり絶望、色んなやる気を失いかけていたときに親から気分転換とリハビリがてらドラム始めてみたら?と言われ、そんなのあったなそういえば、やってみるか、バスケできないし、ぐらいの気持ちで貯金していたお年玉で電子ドラムを買った。何もわからなかったのでレッスンに通うことにして、近所の小さな音楽教室に通い出した。そこで初日に見た、ジャズドラムをしていた先生の衝撃的なドラムソロにその場で倒れそうになるほどの衝撃を受けた。何がなんだかわからなかったが大きな音とビートに心が動いた。二駅分ぐらいは動いた。練習を重ねて叩けるようになっていくのがとにかく楽しかった。ワクワクした。しかし一年ぐらい経った頃に難しいコピー曲に当たって心が折れかけ、折れかけていたところに次のレッスンまでに耳コピでその曲の譜面を書いてみよう、書くことも練習だから。ということになりおれの心はポキリと折れた。プリッツのポッキーの先端をデコピンで弾いたときぐらいの勢いで折れた。めんどくせーやってられっかそんなこと。譜面なんか書きたくねー。そんなことは言えず、結局何も言わずにレッスンに通わなくなりフェードアウトで辞めるかたちになった。

ちなみに先生とは、おれが高校生の頃通っていた予備校に先生がクロネコヤマトの配達員として来たときに再会した。ドラムのレッスンは辞めてクロネコヤマトに就職したと言っていた。その2年後ぐらいに突然電話がかかってきて、「お金持ちになれる話があるんだけど、今度の講習会に来ない?」と言われ、何とも言えない気持ちになった。先生あんなにドラムうまかったのに。講習会には行かなかった。

高校に入ってバスケのことしか考えていなかったおれはドラムのことなんてすっかり忘れて授業中、もし明日ダンクできるようになっていたらたぶんどっかから取材が来てすげーことになるだろうな、日本人史上最も背の低いスラムダンカー現る!みたいな感じで月バスの表紙とかなるかも、やっべー。ということばかり考えていた。そんな高一の夏、ドラムできるらしいな!バンドやろや!文化祭出よや!と友だちに誘われてコピーバンドを組むことになった。その秋の文化祭のステージで見た3年生のバンドのドラマーがとてつもなく上手くてカッコよかった。ドラム人生で二度目の衝撃。ちなみにそのドラマーは今ARSKNでドラムを叩いている恭介くん。おれはあの日以来ずっとあの人に憧れている。そしてそこからまたドラム熱が再来、高校3年間が人生で一番ドラムの練習をしたように思う。このときにえーすけとなおてぃと出会った。えーすけはこの頃からAge Factory、なおてぃは別のバンドのベースだった。そして大学に入りバスケを辞め、奈良で活動していたDROP CLOCKというバンドがドラムを募集していたのでそこに飛び込んだ。一度ライブを見たことがありあのバンドに入りたいと思った。その少し後にAge Factoryに加入し、色んなことがあり、今に至る。

良いビートを聞けばどんな素人でも知らないうちに手でリズムを刻んだり体を揺らしたりする。打楽器は世界で最も古い楽器、まだ言葉もない時代の民族も戦いに行く前には太鼓を叩いて戦士を鼓舞した。らしい。そうかだからドラムの音を聞くと勝手に体が動くのか。大昔からそうなんだ。細胞が反応するんだ。そして時には体だけでなく心まで動かす。おれはドラムのそういうところが好きなんだと思う。

なんだか書いて置きたくなったので長々と書いた。ドラムの話。

2020.06.01

ライブのない日々、生産性のない無意味な時間を過ごしていると以前よりも強い罪悪感に駆られて部屋ですら居心地が悪く感じてしまう。何か新しいものを聴かなければ、何か新しいものを見なければ、何か新しいものを読まなければ。しかし実際はそう思っているだけで、流れていく生活に溺れないよう必死に泳いでいると日々がいつの間にか過ぎて行き気がつけば六月、結局何をしていてもうっすらと罪悪感のようなものが消えない。そんな中に見たGEZAN石原ロスカルのドラム30時間に、心底感動した。おれたちは、おれは、絶対にしないし、そもそもあんなことできない。また馬鹿なことをしている、なんて不器用な、そう思いながらもなぜか気になってその日は1日中心がざわざわしていた。

バイトを終えて帰ってきたら石原は叩き始めていた。あー、またやってるわ。晩飯を食べてシャワーを浴びて寝る前に恐る恐るもう一度覗いて見た。まだやってる。そういう企画だからそりゃそうなのだが、あぁ、マジでまだ叩いてるこいつ。映画セッションを見たときと同じ気持ちになった。いつもの時間にアラームをセットして寝た。朝起きてバイトへ向かう前、一応、また覗いてみた。やっぱり叩いてる。疲労した顔で、また海の前で叩いていた。昨日よりもビートにキレが出ている気がした。そんなことあるか?原付を飛ばしてバイトへ向かう。バイト中もソワソワしていた。あいつ今も叩き続けてるのか。バイトから帰ってきて晩飯を食べながら今度はしっかりと配信を見た。30時間叩き続けたあとのドラマーが後ろに構えるGEZANのライブを見てみたかった。ライブに入る前の最後の方はステージのような場所で叩いていたので、てっきり石原の周りに3人が集まってきてライブに入るのだろうと思っていたら、石原は左手に持ったカウベルのようなものを叩きながら立ち上がって歩き出した。少し歩くとギターの音が聞こえてきた。波打つ海の前、砂浜の上にセッティングを済ました3人が立っていた。映画を観ているのかと思った。とにかく綺麗だった。アンコールを終えたあと、イーグルさんが海に行こう!と言って波打ち際へ1人で飛び込んで行った。ホームボタンを押して、iPhoneを机の上に置いて、すっかり止まっていた晩飯の続きを食べた。そのあとLOSTAGEの奈良ネバーランドでの配信ライブを見た。おれはやっぱり血の通った音が好きなんだと思った。

もうすぐホタルの見頃の時期になる。実家の近くの田んぼの用水路では毎年ホタルを見ることができた。この前空を見上げると、入道雲が見えた。机の上に置いていたチョコレートは夕方には溶けて柔らかくなっていた。もうすっかり夏が来ていた。

2020.05.29

いつもの坂道を原付で登った。ガソリンはもうほとんど残っていなかった。近くにガソリンスタンドあったっけ、突然不安になった。まあいいか、切れたら押して帰ろう。

小学2年生の頃、分団登校の班長をしていた6年生の翼くんが近所に住んでいた。その頃の翼くんは遊戯王のレアカードを沢山持っていたし、ベイブレードは強かったし、足は速かった。おれから見た翼くんはもう充分に大人だった。ある日、翼くんはギア6のままの自転車で、家の前にある長くて急な坂道を登り切った。おれはすぐ近所に住んでいた友だちと毎日、どっちの方が速くその坂を自転車で登り切れるかの勝負をしていた。おれたちはギア2でなんとか登り切ることができる程度だったのに、一番重たい6で?信じられなかったが、あの一漕ぎでの進み方は、間違いなくギア6だった。その日からおれたちの中で翼くんは、何でもできるお兄ちゃんから、憧れのスーパーヒーローのような存在になった。あの坂を今見たらどう思うのだろう。少し気になった。

右手を捻って簡単に坂を登り切ったあと、少し走ったところにガソリンスタンドがあったのでそこでガソリンを入れた。コンビニに寄って、ゆで卵と蒸し鶏の入ったサラダとおにぎりを2つ買った。家までの帰り道にあるいつもの田んぼは土が耕されて綺麗に整えられていた。家に着いてからさっきの田んぼが今どういう状態なのか気になってネットで調べてみると、田植えの前の代掻きという工程が終わったところだった。このあと田んぼに水が張られて、田植えが始まり、秋にはまた金色の稲が見られる。今年はもっとよく観察しておこうと思った。こんな身近にある綺麗なものをできるだけ見逃したくない。

 

 

 

2020.05.17

先日、スーパーでお弁当とおつまみメンマを手に取りレジへ行こうとしたら店員さんが惣菜コーナーに置いてあるおつまみメンマに半額のシールを貼り付けていたのでおれはダメ元で店員さんに、あの、これも、いいですか…?と恐る恐る手に持っていたおつまみメンマを差し出すと店員のお兄さんは笑顔でシールを貼り付けてくれた。そのあとにおれが持っていた弁当を見て、あ、それも貸してください!と言って半額シールを貼り付けてくれた。この大変なときに、わざわざそんな優しさを渡してくれたことが嬉しかった。勿論単純に値段が半額になったことも嬉しかった。惣菜コーナーには、アルコールスプレーと布巾を手に持ち弁当や惣菜の容器を拭いてまわっている店員さんも何人かいた。いつもはやらなくていい仕事が増えるときほど面倒くさいことはない。ウイルスに苛立ちながらも、色々な人たちのおかげで日々の生活を送れていることを再認識した。その日の晩飯だけ買うつもりだったが、感謝の気持ちを込めてそのスーパーでその日の晩飯の他に缶ビールを6本とポテトチップス2袋も買って家へ帰った。缶ビールが重たかった。

さっき観た映画と先週観た映画はどちらも主人公が最後に死んだ。それでもバッドエンドとは言い切れなかった。エンドロールが終わったのでテレビを消して半分以上残っている缶ビールを机の上に置いたまま服を着替えて家を出た。宇宙ステーションが見えると聞いたので期待して夜空を見上げたが月すら見えないほど曇っていた。真っ暗な小学校の横を通りいつものベンチへ向かった。途中で酒を売っている自販機を見つけてビールを買おうと思ったが財布を置いてきたことに気が付き素通りした。机の上の缶ビールが残ってるからもったいないよ、という声が心の中で聞こえたがあれはぬるくなっていたのでもう飲む気になれなかった。てかそういえばソースマヨ味のベビースターもチョコ2倍のカントリーマアムも袋開けたまんまだ。まあいいか、部屋に戻ったら食べよう。

ベンチの目の前に生えている木から青臭い匂いがした。相変わらず月は見えない。前を通った人から、昔の誰かと同じ匂いがした。誰だったか思い出そうとしているうちにその匂いは風に消されてまた青臭い匂いに戻った。

 

 

2020.05.09

nothing anymoreが終わり、映像がエンドムービーに差し替えられ、3人は終わりの合図をその場でじっと待った。OK!の言葉とほぼ同時に周りから拍手が聞こえ、監督の央大がお疲れさま、最高やった、と言いながらこちらに歩いてきた。この日のために相当な準備をしてくれた央大の安堵の表情を見て、やっと終わったことを実感した。メンバーと撮影チームが事前に集まることはできなかったので、当日のリハーサルで全てを確認する予定だったが結局時間の都合で全ては確認できなかった。出番の直前までカメラの位置やVJを確認するスタッフの人たちを見て、現場に漂う緊張感を久しぶりに感じた。やろうとしていたことは、ほとんどぶっつけ本番の生配信で行うレベルを超えていたんだと、当日になって初めてわかった。3人だけでは、何もできなかった。

帰り道、おれがドラムを叩いているDROP CLOCKのボーカルで、奈良ネバーランドでブッキングを担当しているれおなから配信ライブを見たと電話がかかってきた。れおなは電話越しに泣いていた。大丈夫やと思った、ありがとうってみんなに伝えといて。おれネバーランド絶対に潰さへんから。みんなにありがとうって伝えといて。泣きながら何度もそう言っていた。その電話に彼の人柄が全部出ていた気がした。その他にも、色んな人たちから見たよと連絡を貰った。配信ライブをしてよかったと心から思った。

家に着いて、洗濯物を洗濯機に入れシャワーを浴びて歯を磨いてベッドに入った。久しぶりに1日が短かった。