goodbye,youth

増子央人

2019.10.27

鶴岡高専の学祭を軽音部の副部長の子が案内してくれて、ライブ前に校舎をぐるっと回った。教室でいろんな展示がされていて、自分が通っていた高校の学祭を思い出した。星座についての展示をしている教室があって、隣の教室で星が見れます!と書いていたので気になって隣の教室のドアを開けると部屋は真っ暗、iPhoneのライトをつけて真ん中の椅子に座った。ライトを消して天井を見ると沢山の星が見えた。机の上に小さなプラネタリウムの機械が置かれていた。とても綺麗だった。ホストクラブをしている教室もあり、中を覗くとビシッと決めた学生たちが遊びにきていた小さな子どもたちとトランプをしておもてなししていた。その光景も素敵だった。

副部長の子は髪の毛の内側を赤く染めていたので、そっか高専は髪色自由やから染めれるんやな、と言うと、いや、、本当はダメなんですけど学祭なんで、、と隣にいた女の先生の顔色を伺いながら気まずそうに言っていた。ダメなはずなんやけどね、秋だから紅葉かな?と隣にいた先生は笑っていた。怒っている様子もなかった。緩いなあ、と思ったが、なんだかそのやり取りが良かった。

おれたちの前にStain hung overという高専のバンドがライブをした。全曲オリジナルで、毎週末ライブハウスでライブをしているらしい。この場があるのは実行委員の皆さん、音響の皆さん、手伝ってくれた沢山の人たちのおかげです!本当にありがとうございます!みたいなことをBa.voの男の子がmcで話していた。おれの前で見ていたおれたちのPAの杉田さんはそれを聞いて、自分の頭の上で大きく拍手していた。振り向いて嬉しそうにおれに、最高、と言った。ステージ上でよく聞く言葉かもしれないが、17歳で当たり前のように感謝の言葉を述べることができるのはとても素晴らしいことだと思った。みんながみんなできることじゃないと思う。何よりライブがカッコよかった。

おれたちのライブが終わったあと、おれたちを呼んでくれた副部長の子がステージ裏に来て、顔をぐしゃぐしゃにしながら泣いていた。ありがとうございましたぁ、とギリギリ聞き取れた。素直な涙がとても綺麗で、自分があんな風に泣いたのはどれぐらい昔だろうかと考えたが、全然思い出せなかった。きっとあの子のあの顔はしばらく忘れないだろうと思った。それぐらい綺麗だった。後ろで見ていた女子高生2人が、ライブの後半で手を繋いで前の方に走って行ったよ、とPAの杉田さんが言っていて、なんだそのマンガのような景色は、と思った。初期衝動を超えるものはないし、初期衝動は何よりも輝いている。もしもその瞬間を作れたのだとしたら、そんなに光栄なことはないし、やっぱり音楽は凄い。

基本的に軽音部の生徒の子たちが案内などを全部してくれたのだが、みんな礼儀正しく、とてもしっかりしていて、Age Factoryチームは終始その姿勢に感動していた。自分が17歳のときに、大人の人たちとあんなにしっかりと接することができたかと言われると、まったく自信がない。みんな素敵だった。18時ごろにはホテルに着いたので、チームのみんなで駅前の居酒屋へ行き、最後はラーメンで締めた。今は機材車の中、日本海側を走り奈良へ帰っている。さっき日本海が見えた。やはり海を見ると朝でも少しだけ気持ちが高揚する。鶴岡、好きな街がまた一つ増えた。

 

2019.10.20

二日酔いの気持ち悪さを水で薄める。喫茶ルノアールの低いソファにそのまま埋まってしまいそうなほど、身体が重たい。昨日、アンコールを終えて楽屋に戻ろうとしたが、ダブルアンコールの拍手を聞いていたくなり、袖に戻った。カーテンの後ろで、鳴り止まない拍手の音を聞いていた。昼間にLOSTAGEの五味さんの取材をしていたというライターの石井恵梨子さんが楽屋挨拶に来てくれたとき、五味さんから一言だけ伝言、と言った。ソールドアウトはおれも嬉しい、って言ってたよ。嬉しかった。打ち上げではえーすけが珍しく大飲酒モードに入っていた。2年ぶりぐらいにあそこまで酔っているのを見た。えーすけは周りの人たちと飲みまくり、最後の乾杯を3回し、散々暴れ回ったあと、フラフラになって遊びに来てくれていた後輩に肩を借りながらガラガラの声でこう叫んだ。最後にこれだけ言わせて!みんなありがとう!みんなそれを聞いて笑っていた。これからの人生で何度か、この日を思い出すことがあるんだろうと思った。2019年10月19日は、本当に、良い日だった。

 

 

 

 

 

2019.10.13

台風19号ハギビスが過ぎた名古屋の空は青一色。この色は奈良で親知らずを抜いたあとに見たあの青空と同じ色だと思った。最高気温は27度。DAIRIKUに貰ったセーターをやっと着ていけると思ったのに、今日も無理だ。27度は汗をかく。仕方なくいつものロンTに袖を通した。池下CLUB UPSETに着いてすぐ、たまたまフロアにいた店長に挨拶して少し話した。ソールドアウトしたね。あんなに名古屋苦戦していたのにね。少し前まで名古屋にはあまり良い思い出がなかった。それでも毎回来てくれる数人の顔はしっかりと覚えていた。そうか、今日の名古屋、池下CLUB UPSETでのワンマンライブはソールドアウトしたのか。不思議な気持ちになった。今日は当日券も出ないらしい。まだ交通機関が麻痺している地域もあると思うので、みんなが無事にこの場所まで辿り着けることを祈る。

リハーサル前、コメダ珈琲に来ると席はカウンター以外が満席で従業員はキッチンに1人とホールに2人。ホールの1人は外国人で誰が見てもわかるほどにあたふたしていた。頼んだストレートティーは30分後に来た。あからさまにイラついているもう1人のホールの従業員。彼は日本人で眼鏡をかけたロン毛の男性。不安そうに動き回る外国人従業員。頼むから誰も怒らないでくれ、そう願いながらストレートティーを飲んだ。いっしょに頼んでいたガムシロップが既に入っていた。甘くて美味しい。誰も怒らないでくれ。キッチン従業員のベテランっぽいおばさんが笑顔でホールの2人に指示している。ホールの眼鏡の従業員に段々と笑顔が戻ってきた。遅れてごめんなさい、と外国人従業員がテーブル席のおばさん2人に料理を持って行った。全然大丈夫よお、と笑顔で返すおばさん2人。良かった。ここのお客さんはもしかしたらみんな飲食店でのアルバイト経験がある人なのかもしれない。キッチンのおばさんは、もしかしたら輪廻転生をもう3回は繰り返した人生3周目の人なのかもしれない。そろそろ日本は義務教育に飲食店勤務を入れるべきだと思う。まあそれはおいといて、異国の地で仕事をするというのは、どういう感覚なのだろう。したことがないからわからない。今日もみんな頑張っている。頑張っていない人などいないのかもしれない。頑張っていない人は、おそらくこんな風に目に止まらない。勝手に意識の外に置かれる。小さい頃、砂場の砂をざるのようなものですくってサラサラの砂だけ取り分けて遊んでいた。ざるに残った荒い砂は捨てて、サラサラの砂だけ増やしていった。それに似てるな、と思った。そんなことを考えていたら窓際の席に1人で座っていたおっさんが、おいまだかあ!何分待ってると思っとる!と外国人従業員にキレた。そいつは割とさっき入ってきたばかりだった。すみません、すぐにお持ちします!と慌てたキッチンのおばさんがおっさんのもとに駆け寄って言った。おっさんお前は明日から駅前の居酒屋か喫茶店でバイトしろ。ホールをやれ。

 

2019.10.06

中学2年の夏、3年生はあっけなく引退しておれたちの代になった。最後の試合で一度もコートに立てずに終わったキャプテンのたけしくんから4番を引き継いだ。南は相変わらず右からばかりドライブをしていたが、それでほとんど突破していた。清家は試合中ボールを奪うフリをして相手の顔面を殴り鼻血を出させて先生に怒られていた。残り3秒でボールを受け取り決めれば逆転勝ちだった場面でレイアップを外したよしとは試合終わりに1人で泣いていた。翔太は生意気な態度が原因で先生に怒られてまた1人でコートを走らされていた。練習終わりは吉岡の家に行き暗くなってリングが見えなくなるまで2人で練習をした。真面目に練習していた衛藤は朝練をサボっているのに試合に使われていたメンバーへの不満を溜め込んでいた。チームで一番背が高くて期待されていた林田は練習がきつくてバスケ部を辞めた。3年になって最後の夏の大会、おれたちは3回戦で白橿中学に負けて引退が決まった。試合に出ていた奴らが負けたあと笑っているのを見て、なんなんあれ、こんなに必死にやってきて、こんなとこで負けて、笑ってんのかよ。しょうもない。と衛藤が涙目で怒っていた。

先日通っていた中学の近くを原付で通った。新しい体育館からドリブルをつく音が聞こえた。6日の奈良でのワンマンライブで、フロアに一瞬、当時のバスケ部の顧問の先生が見えた気がした。勿論少し似ている別人だった。先生の怒鳴り声が一瞬だけ脳内を揺らした。勿論それは気のせいで実際に脳内を揺らしたのはえーすけの歪んだギターとなおてぃのベースの低音と自分が踏み込んだ24インチのバスドラムの音だった。確かに揺れていた。目の前にいる400人の人たちも揺れているように見えた。海のようなドラムを叩きたいんだと、そのときに改めて思った。そして同時に、現状、まったく叩けていないんだと思った。叩きたいと思うということは、そういうことになる。さらば街よを演奏しているとき、ステージからフロアへ光るオレンジの照明がお客さんの背中、ステージ正面の壁を丸く照らして、おれたち3人の影がオレンジの光の中に浮かび上がった。影法師のように壁に浮かんだその影はまるで小さな映画館で上映されるロードムービーのワンシーンのようで、見惚れていたら曲が終わっていた。演奏中なので実際に見惚れていたら曲が終わっていたわけがないのだが、そういう風に覚えている。素敵なライブハウスだと思った。同じバスケ部だった上東が初めてライブを見に来てくれた。上東はライブ終わり知らない間に楽屋に来て、音でかすぎて耳が痛いわ、と文句を言っていた。初めてのライブハウスだったらしい。こんな人数が3500円も払って観に来てんな、すげーことやな、と笑いながら言っていた。手にはAge Factoryのパーカーを持っていた。物販に並んで買ってくれたらしい。その日の晩は飲み過ぎた。次の日の昼に起きるともう頭なんて捨ててやろうかと思うほどの頭痛、水を2リットルは飲んだ。やはり冷蔵庫に液キャベかソルマック胃腸液プラスを常備しておくべきだと思った。

 

2019.09.30

N国党のなんとかっていう気持ちの悪い政治家わかる?この前、差別やいじめは神様が作った摂理、とか言ってたって。どう思う?渋谷駅で出口に迷い歩き疲れて柱にもたれかかっていたら近くの女子高生2人組がそんなことを話していた。どう思う?の先を盗み聞きする前にイヤホンをつけて最近お気に入りのgirl in redの新譜を再生した。とにかく人の多さに疲れていた。他人が他人に投げかけた質問の内容を頭の中で繰り返しながら井の頭線の乗り場まで歩いた。神様なんて存在しない。もし存在するのであればそれは各々の想像の中で産まれた姿で、神様とは人の心の中にある妄想に過ぎない。つまり差別やいじめは神様が作った摂理、というのは結局そいつの道徳観なのだ。差別もいじめも人が作ったのだ。そう考えなければ差別やいじめの全てを諦めることになる。その発言者は馬鹿か。なるほど。頭の中で自分なりに一通り考え終わったところで井の頭線の乗り場に着いた。この間に二回道を間違えた。やはり東京は嫌いだ。特に渋谷は大嫌いだ。人混みを見て、早く黄金の稲をつけた田んぼの芝生を見たいと思った。山と空の境目に位置する一等星がだんだん天に登っていくのを見て地球の自転を感じたい。そしてその一等星はオリオン座の一部だったのか!をやりたい。東京の空は明るくて狭い。そんなことはできない。それをするには目を瞑って脳みその中にプラネタリウムを出さなければいけない。電車に乗り下北沢の同い年の店長がやっている古着屋へ行き、少し話をした。今日はお客さんが平日の割には多いんですけど、明日から増税だからですかね〜、と店長が言っていた。しまった、奈良にいる間にビールを買い貯めておくべきだった、と後悔した。たかが2%、なんて今は到底思えない。そのあとその人におススメしてもらった喫茶店へ来てしばらく本を読み、眠くなったので店を出た。外はもう暗い。増税して、何か生活は変わるのだろうか。苦しくなる、という安直な想像以外の利点を感じることはできるのだろうか。増税分の使い道をネットで調べてみた。頭では理解できるが、明日飲む缶ビールが安ければ安いほどおれは嬉しい。

2019.09.26

先週、山人音楽祭に初めて出た。群馬のG-FREAK FACTORYが主催する群馬のフェス。G-FREAK FACTORYのライブを見て、何度か涙がこぼれそうになった。打ち上げが終わりかけていたとき、茂木さんに質問した。僕は正直、そこまで奈良に愛着も執着もありません。どうして群馬でそこまでやろうと思うのですか?間髪入れずに茂木さんが答えた。群馬で産まれたからだよ。表面上の意味は理解できたが、恐らくおれが理解したのは氷の溶けたアイスコーヒーが水と分離して薄くなった上の層の方だけで、下の濃い部分のことはちゃんと理解できなかった。これから分かるようになるのだろうか。

奈良に帰ってきて久しぶりに会ったバイト先の後輩と飲みに行った。確実に変わってはいたがそいつの言葉は相変わらず真っ直ぐで純粋なままだった。2年前に癌で亡くなったそいつの父親の話になったとき、そいつの目から涙が溢れた。すぐに隠すように涙を拭いていたので、そのことには触れなかった。そのあとに奈良へ来ていたマネージャーと朝まで飲んだ。二人であんなに話したのは初めてかもしれない。バンドの話を沢山した。居酒屋で27歳を迎えた。

ガソリンを満タンにした機材車は北へ走る。高速道路の上空を夕陽に照らされた桃色の雲が意志もなくただ漂っている。やりたいこととか別に何もないわ、と言って部室でスーパーファミコンばかりしていた軽音楽部の先輩たちを思い出した。

 

 

 

2019.09.15

泉大津の近くには、恐らく空港があったのだろう。ステージ袖から先輩たちのライブを見ている際、何度も空に飛行機が見えて、その景色があまりにも美しくて、涙が出そうになった。おれたちの出す音はあの青空を飛ぶ飛行機にはまだまだ届いていない。二万人を前にするステージに初めて立って、そのことを実感した。青空がいつもより広く遠く感じた。打ち上げ中盤で、拓也くんと2人で話をした。ドラムを褒めてくれて、おれがバンドの世界に飛び込んだときから見てくれていた人なので、特別に嬉しかった。色んな話をして、色んな話を聞いた。途中でMAHさんが暇なんだよ〜と言いながら日本酒の一升瓶を持って現れた。タイミング、持っていたもの、台詞、すべてが相まって、悪魔の翼が背中に見えた気がした。一升瓶を空けるため、その後に集まった人たちも合わせてみんなで飲んだ。拓也くんは子どものように無邪気に笑っていた。散々飲んで、朝4時半頃に機材車で奈良まで帰った。なおてぃが運転してくれた。部屋に着いて、窓から差し込む朝日をカーテンで遮り、その日見た景色、聴いた話を思い返しながら、アラームをかけずに寝た。