goodbye,youth

増子央人

2019.04.23

なら100年会館の前の広い階段に座っている。休憩時間はあと30分程で終わる。スウェット一枚だけでも少し暑い。右手に持つハイネケンの瓶は中身がもう少しでなくなる。残っているビールは人肌ぐらいにまでぬるくなっている。やっぱりビールなんか早くに飲み干さないと美味しくない。ただ風は気持ちいい。下の公園では3人の女子高生たちがiPhoneを片手にダンスの練習をしている。お互いがお互いを撮り合ったり自撮りしたらしながら楽しそうに踊っている。そのすぐ近くでは小学生ぐらいの女の子が4人、4人とも両手に泥団子を握りしめて輪になって何か話しをしている。その前をベビーカーを押すお母さんが通り過ぎた。そのすぐ後ろで柴犬を散歩する男の人が歩いている。柴犬は一瞬立ち止まってこちらを見て、またすぐ走り出した。君は尊い。どうか、そのまま最期のときまで、人の愛に触れ続けていてほしい。無垢な瞳を見て、ふと思った。君は、迷ったりしないのだろうか。おれは最近、迷ってばかりいる。君は、迷ったりしないのか?…何を考えているのかさっぱりわからないや。まあいいか。

昨日スタジオで、新しい曲が完成した。まだ完全ではないが、8割がた完成した。持ってきたパソコンで録音したその曲をスタジオのスピーカーにつないで大きな音で聞いた。曲が終わってからえーすけはぼそっと独り言のように、売れたらいいなあ、と呟いた。その言葉は凄く自然に、吐息のように狭いスタジオで漏れ出ていた。誰に言ったわけでもなさそうだったので、その言葉は新曲の残響とともにスタジオの中で孤独に浮かんですぐに消えた。大丈夫、きっと売れるで。心の中で相槌を打った。

不安と不満が混濁している夜も、スタジオで曲を鳴らせば、ボーカルの叫び声が、ギターの唸る音が、ベースの優しい音が、ドラムの振動が、まるで麻薬のように、砂浜に描いた落書きを波がかき消すように、心のもやをどこか遠くの方まで飛ばしてくれる。とても不思議な気持ちになる。

そんなことを階段に座って考えていたら、小学2年生ぐらいの男の子1人に声をかけられた。真っ赤なTシャツに紺色の短パン、キャップを被った、元気そうな男の子。「もしかして、ユーチューバーの方ですか?いっしょにいた友だちが似てるって言ってて」と、恐る恐るおれに言った。少し笑ってしまった。違うよ、と言うと、すみません、と言って恥ずかしそうに去って行った。時間が来たので、バイト先へ戻った。知らないうちにハイネケンの瓶は空になっていた。

 

 

 

2019.04.16

薄く青い岡山の空に碁石のような鴉が一羽浮かんでいる。街はすっかり春めき、自転車にまたがる女子高生のスカートはやらしさを持たずに無邪気に揺れている。遠くの方に山が見える。綺麗な緑色をした木が生い茂り、山もまた春を歓迎しているように見える。

THE FOREVER YOUNG。おれにとってとても大切なバンド。フロアで自然と涙が溢れた。涙が溢れるなんて、そんなにあるもんじゃない。走り続ける背中はとても暖かく、きっとおれは前が見えなくなったとき、あの人たちのライブをまた見に行く。くにさんがいてくれてよかったと、心から思う。

アメ村に到着して、リハまで時間があるので少し歩き、マクドに入った。相変わらずこの街は好きな部分が一つも見当たらない。路上まで聞こえる無駄にでかい店内BGM、人とすれ違うたびにする苦手な香水の匂い、群れることで強気になった少年少女たち、気のせいだと思うが空まで濁って見える。今日はこの街でライブをする。

 

 

2019.04.03

奈良では桜が咲き始めた。部屋で久しぶりにラジオをつけた。FM89.4、中学生の頃によく聞いていた、アルファーステーションのチャンネルに合わせた。求めていないのに流れては去っていく雲のように、エレファントカシマシの四月の風やoasisのDon't Look Back In Angerが流れていった。やはりラジオは良い。勝手に流れてきたメロディーがもし求めていたものだった場合、勝手に必然性を感じ、その曲がより好きになる。親と喧嘩をして飛び出た庭の隅で源太郎が舐めてくれたときに感じた、お前だけはわかってくれてるんだよな、というあの感覚が、ラジオにはある気がする。つまりもたれかかって良いのだという感覚が。なぜなら良くも悪くも向こうからの感情はないからだ。日々はただ、苛立ちとともに過ぎていく。北海道からの帰りのフェリーの上で、これからのことをたくさん考えた。帰りのフェリーは1人だった。驚く程気が楽で、体が軽かった。昔から、1人の時間はやはり、体と心の休息になる。長ければ長いほど嬉しい。1人の時間には、色んなことを考える。帰ってからの生活のこと、バイトのこと、スタジオのこと、国民健康保険のこと、自分のやりたいこと、好きなこと、嫌いなこと、奈良県のこと、東京のこと、行ったこともない外国のこと。考えているうちにフェリーは敦賀港に着いた。外は日が落ちて暗く、冷たい雨が降っていた。

ラジオからは京都の交通情報が流れてきた。おれには関係ない。パーソナリティの声はやはり雲のようにおれの頭上を流れていった。日々を、やりたいことを、やるべきことを、できるだけ楽しみながら、生きていたい。

 

 

2019.03.28

船は自らが意志を持っているかのように日本海の上を転覆することなく北へ北へと進んでいる。もうかれこれ17時間ほど船の上にいる。窓からは北海道が見え出し、それと同時にiPhoneに電波が入った。少しだけSNSを見た。奈良から持ってきた村上春樹1Q84を昨日の晩から読んでいる。電波のない場所にくると、とても清々しい気持ちになる。体が軽くなり、iPhoneは外界と遮断された鉄の塊になり、自分は孤独であるということを再確認し、みんなも孤独であるということがわかり、仕方がないので小説を読もうと本を手に取る。気が散ることもなく、頭の中の世界は一つになる。窓の外では海が動いている。地球が息をしていることを感じる。船が揺れることで、地球の揺れを感じる。窓際にいるので、少しだけ外の冷たい空気が漏れて肌寒い。ずっと向こうに、奈良では見ることができない水平線が見える。あの向こうには本当に世界はあるのか?本当は地球は丸くなくて、あの向こうは崖になっていて、この大地は大きな亀と象が支えているのではないのか?と、昔の人は考えていたと、何かの本で読んだ。今は、そうではないと、地球は丸いとほぼ全ての人が知っている。なんてつまらないのだろう。君が何をしているか、インスタを見ればすぐにわかる。なんてつまらないのだろう。どうして海も空も青いのか、どうして月は落ちてこないのか、雲は何でできているのか、星はどうして光っているのか、恐竜ってなに?宇宙は一つしかないの?iPhoneで検索すれば全てわかる、もう昔のように父さんに聞く必要はない。なんてつまらないのだろう。

 

2019.03.13

春の代償で目が赤い。喉もかゆい。機材車はオレンジの無数の光の下を走り、大都会東京へ向かう。この前初めて東京タワーに登って、夜の東京を見下ろした。街に張り付くネオンは、福島で見上げた空に輝いていた星たちのように、無機質で、おれの想像の範囲の外にいた。最近バイト先に、中国人の社員が入ってきた。後輩の大学生は会う前から、キモいわー、おれ無理やわー、と言っていた。わざわざなんで?なんて聞かなかった。話しを聞こうとすら思わなかった。新しいバイトの面接に落ちた。一生懸命書いた履歴書は、こちらで責任を持って処分しますと言われた。必要とされないということは、やはり多少は傷付く。今まで別れを告げた人たちのことを思い出した。いつも行くうどん屋さんでバイトしていた金髪のあいつは今月の頭に東京へ上京した。もう奈良にはいない。明日のライブ観に来るって言ってたな。頑張らないと。バイト終わりの帰り道、近所の居酒屋さんの前に、鉢植えを見つけた。小さな木のようなものが植えられていて、そいつは窓から伸びる紐で真っ直ぐ立つように固定されていた。嘘ばかりついていた宮口さんのことを思い出した。もう1人で立つ力が残っていなくても、惨めが怖くて嘘ばかりついていても、カッコつけて生きようとする人に、おれは惹かれるのだと思った。カッコついているかどうかはあまり関係ない。その姿勢がカッコいいのだと思う。あの小さな木に教えてもらった。背筋がピンと伸びた気がした。

 

 

 

 

2019.02.21

茶店で店員に置かれた砂時計を無心で見つめていた。アナログで、原始的なこの時間の測り方には、言葉では表すことができない、非効率的な美しさがある。世界はすべてが効率化されていく。中国では、生まれてくる前の子の受精卵の遺伝子を編集し、HIVにかからない赤ちゃんを誕生させた、とニュースで無表情なアナウンサーが話していた。遺伝子操作ベイビー、人の技術はついに神の領域に踏み入れようとしているのか。神の領域?神とは、マイケルジョーダンのことではないのか?

右手の窓の向こうには観光客が歩いている。ドアの横の机の上には無名アーティストの弾き語りライブのフライヤーが置かれている。ライブの日付は3月5日。3月か。もうすぐ春になる。今年もまた桜が咲くのかと、去年の桃色を思い返していた。人はなぜ、あの桃色に想いを馳せるのか、人はなぜ、あの目の前で燃える線香花火に、人はなぜ、紅く染まる紅葉に、人はなぜ、街を彩るイルミネーションに、想いを馳せるのか。そんなことを一年に4回、おれは今26歳だから、80歳まで生きたとして、残り54年、216回も季節の変化を感じるのか。なんだ数字にした途端急に野暮な話に聞こえてきた。興醒め。詠まれた短歌に点数をつけることと同じぐらい興醒め。窓の向こうでは80歳ぐらいの爺さん3人が肩を組んで笑いながら歩いている。酔っているのか?どちらにしろおれの今の思考よりあの爺さんたちの方がよっぽど趣がある。今日もおれは誰にもなれなかった。明日もおそらくおれは誰にもなれない。この前いっしょに飲んだバイト先の後輩に、増子さんってコンプレックスだらけですよね、と突然言われた。馬鹿を言うな、おれは自信に満ち溢れている。なぜならあの朝練の体育館で先生はおれに期待していると肩を叩いてくれたし、あの先輩もあの先輩もお前のドラムは良いと言ってくれたし、何人かは増子さんの書く文章が好きですと言ってくれたし、この前行った居酒屋では飲んでいた奥様2人からあんた笑った顔素敵やねと言われたし、投げかけてもらったそういった言葉たちを掴んで、大丈夫と、鎧のように全身に貼る。その鎧たちでコンプレックスなんて完璧に隠している。目を見てはっきりと、そんなことを言うな。少し酔いが覚めてしまった。まあ酔いが覚めたらまた飲めばいいだけなんだが。やっぱりその日も沢山飲んでしまった。でも記憶はある。

 

 

 

 

 

2019.02.05

桜の見えるあのベンチに置いてきた感情はもうしばらく戻ってきそうにない。父と捕まえに行ったカブトムシは虫かごから飛び出してもう戻ってこない。母は家に1人なのに今日もお味噌汁を作り過ぎる。校庭を一人で走っていた妹は、今日も一人で東京を走っている。初めて見上げた東京タワーには優しい人々の歴史が映っていた。おれにドラムを教えてくれた先生が勧誘してきたお金持ちになるための講習会は、真っ黒だったのか、真っ白だったのか、先生、お金持ちにはなれましたか?おれはまだドラムを叩いています。和歌山の海辺で見た夕陽は、見惚れるほどに綺麗だった。駅の近くのラブホテルに行くときに通りかかるあのお店はもうなくなっていた。そこの看板犬も勿論、いなくなっていた。久しぶりに実家の近くの犬に会ったとき、そいつはとても優しく近寄ってきて、おれの指をぺろぺろと舐めてくれた。長生きしてほしい。試合の日の朝は空気がいつもと違った。インターハイに出場できず、先輩たちの最後の夏は嘘みたいにあっけなく終わった。最後の挨拶でだいき先輩はみんなの前で初めて泣いた。声を出して泣いた。教室の外では蝉が鳴き、遠くの山の向こうには入道雲が背を伸ばして立っていた。おれたちは、必ず勝たなければいけないと思った。自分に負けそうになる夜が、たまにある。忍び寄る黒い影から身を潜めて、小さな小さな嘘の鎧でなんとか自分を守る。そんな自分が惨めになって、アルコールで記憶を薄める。記憶をなくして薄くなったあの夜の色は何色だったっけ。なあ、もういっそ、上京なんてやめてさ、2人でどこか遠くの田舎へ行こう。庭のある一軒家に住んで、そこで大きな犬を二匹と猫を一匹飼おう。仕事なんてきっとなんでもあるさ。なんとかなるよきっと。毎日ちゃんと働くから。帰ってきたら君はご飯を作って待っててくれればいいよ。きっと幸せだと思う。

戻らない日々を繋いで、季節の変化に一喜一憂して、赤い夕陽に見惚れながら、ぐるぐると同じ場所を回りながら、時計の針は進んで行く。上京の予定はない。