goodbye,youth

増子央人

2018.12.02

渋谷www xでのワンマンライブが昨日終わった。ずっと昔から見てくれていた人たちは尚更、昨日の夜の光景がどれほど特別なものだったかわかると思う。ステージから見えたみんなの顔は、とても輝いていた。何度も何度もグッときて、涙を堪えた。感情が高鳴れば高鳴るほど、不思議と演奏に集中できた。スティックが手に触れている位置やスネアのヒットの位置、椅子に対する身体の重心の位置、リズムを取る左足の高さ、えーすけの手の刻み、いつもよりも目と耳の感覚が研ぎ澄まされていた気がする。WORLD IS MINEのイントロで、ダイバーが出た。あれは間違いなく、おれたちのライブでは、初めてのダイバーだった。別にダイブが起きるから良いライブという訳では勿論ない。だがあれは、彼の感情が爆発して飛んだように見えて、ダイバーが出るなんて勿論こちら側も予想していなかったので、セキュリティーなんて当然おらず、袖で見ていたスタッフが慌てておろしに行って、その光景が全部、美しかった。歴史の変わり目のような、そんな一日だった。そして昨日は当たり前だが過去なわけで、もうおれたちの興味はそこにはない。今週末には大阪でのワンマンライブが控えている。その日で正真正銘、GOLDツアーが終わる。がむしゃらに走って、最高を更新し続けたい。

 

 

 

 

 

2018.11.17

機材車は福岡から奈良へ帰る。ircleとbachoと回る二日間が終わった。

昔、大学辞めて就職をせずバンドをやると言ったおれに母さんは、大人になって惨めな思いをするのはあんたやで、私はあんたにそうなってほしくない、と言った。惨めとは、一体何だろう。母さんあなたは、ステージの上のあの、唾や汗を飛ばして何年間も戦い続けるあの人たちを見て、惨めな大人だと思うのでしょうか。

昔、バイト先の先輩がバイト先を辞めて就職してから1年後に店に来たとき、まだキッチンで働いているおれに、お前まだおんの?まだバンドなんかしてんの?と言った。馬鹿にした目で、笑いながらそう言った。あなたはやっぱり、ステージの上のあの人たちを見ても、あのときと同じ目で笑うのでしょうか。

打ち上げでは瓶ビールをグラスに注いで、何かあればこじつけてみんなで一気に飲んだ。一体何年同じことをしているんだ。どうしようもなくアホで不器用だけれど、どうしようもなく不器用なそんな夜が、たまらなく愛おしく感じた。同じことを繰り返しても、同じ夜はないんだと思う。おれはbachoとircleが、あの8人の大人が、大好きだと思った。

GOLDツアーは11月とともに折り返し残り半分。

 

2018.11.10

高松を出て機材車は高知へ向かった。真っ白な画用紙の上にポスターカラーの青をぶちまけたような真っ青な空は、あそこまで青いとおれとは全く関係のないような、宇宙の果てを見ているような、テレビのリゾート地特集の番組で遠い海外の透き通る綺麗な海を見ているような、母に抱かれた、疑うことを知らない赤ん坊と電車で不意に目があった時のような、まあとにかくそんな空の青さが酷く他人事のように感じて逆に虚しくなった。機材車の中にはメンバーとスタッフ3名の計6人が乗っていた。とにかく早く1人になりたかった。

この世にはお金以上に大切にしないといけないことが沢山あると、父が教えてくれた。でもお金で人生は充分に狂うし、大切な人も離れてしまうということも、父から学んだ。夏の夕暮れの寂しさ、秋の鈴虫の綺麗な鳴き声、冬の雪の味、春の陽射しの優しさ、犬の目の綺麗さ、無限に輝く星の果てしなさ、近所のおじさんの優しさ、この地球の素晴らしさ。色んなことを、父から学んだ。人が惨めだと感じる瞬間はなんだ。26にもなって給料日前に口座に1000円も入っていないときか。後輩と飲んで何も言わずに会計を割り勘にしてもらったときか。チンピラに絡まれ殴られた友だちのことを見て見ぬ振りをして自分だけ逃げたときか。50を過ぎて実家に帰ってアルバイトをしているときか。夢がなくなったときか。まだおれにはわからない。宇宙のことを考えると、これらの話は驚くほどちっぽけなことのように感じて、自分がどれだけ小さなことで脳みそを使っているかが浮き彫りになる。だから宇宙の話が好きだ。面接官、あなたが紙切れ一枚と30分でおれの全てを判断できないのと同じように、おれも宇宙のことなんて26年生きた程度じゃ何もわからない。そんなことを考えていたら眠くなってきた。ライブハウスへ戻る。

 

 

 

2018.11.05

東館駅から郡山駅に向かう列車は風景とは似合わないような近代的な見た目で、列車の中にはトイレまで付いていた。緑に覆われた山の中を鮮やかなペンキで塗られた列車が走る。たまに鳴る汽笛の音が、山の風景にとても似合っていた。

昨日、父はライブハウスへ来た時点で既にベロベロになっていた。1人で15時から飲んでいたらしい。恐らくライブハウスというものに慣れていないから緊張していたんだと思う。GEZANのライブ終わり、フロアから後ろの楽屋へ戻ろうとしたら父がバーカウンターに頭をつけたまま寝ていた。もうこの人は駄目だと思った。終演後、バーカウンターへ行くと、東京で一人暮らしをしている妹がサプライズで来てくれていた。だがおれは妹が来ることを知っていた。まあ色んな事情があり、父はおれに、妹が来ることを電話で話してしまっていたのだ。それをライブハウスへ来てから知った妹は父にブチ切れ、しかし父はベロベロ、中々訳の分からない空間だった。ハコで軽く打ち上げをし、おれは2人が飲んでいる居酒屋へ行った。2人はまだ喧嘩をしていたようで、カウンターに座る2人は背中を向けあい父は熱燗を、妹はなんだかよく分からない酒を飲んでいた。久しぶりに3人で飲むというときに、なんて悪い空気なんだと、おれはもはや半笑い状態だった。なんとか仲直りをさせ、2軒目に小洒落たバーに行き、そのあと父だけホテルに戻りおれは妹と初めて2人で飲んだ。確か朝の5時頃まで飲んだ。昔の話やこれからの話を沢山した。そしてホテルに戻り、シャワーを浴びてチェックアウトの時間まで泥のように寝た。

次の日、チェックアウトしてメンバーは仙台へ先に行き、おれだけ父と妹と合流した。父が絶対におれたちに見せたいと熱弁してきた、郡山駅の隣の、科学館のような場所の22階にあるプラネタリウムに朝から連れて行かれた。昨日のライブ前、父は1人でここへ来てプラネタリウムを見て泣いたらしい。父の感受性におれは感心した。確かにプラネタリウムは素晴らしかった。スクリーンに南半球の星空を映し出して、それをスタッフのお姉さんが解説してくれた。夜空に浮かぶ星を見て星座を作った昔の人たちの想像力は凄い。だって水瓶座なんて、どことどこをどう結べばあんなことになったのか、さっぱりわからない。恐らく何でもありなんだ。今車窓から見えるあの雲が鯨に見えると言えば鯨に見えるし、パイプを逆さにしたようにも見えるし、少し変形したギターのようにも見える。限りなく無限な空の話は、大体何でもありだ。プラネタリウムのあと、郡山駅から車で2時間かけて矢祭町のばあちゃんの家に向かった。今父が暮らしている場所だ。山の中へ進むにつれてどんどん緑は深く、空気は透明になっていった。ばあちゃんちに着くと、キラキラした瞳のばあちゃんと叔母さんが出迎えてくれた。おれたちはすぐに用意してくれていた昼ごはんを食べ、じいちゃんの墓参りに行った。墓参りのあとに、近くに川があったので降りた。一緒にいた叔母さんが、ここの水汲んでじいちゃんにかけてやったらいいじゃん!と言うと、父さんは、かおり良いこと言うなぁ、と、本当に心底そう思ったのだろうなという顔で叔母さんに言い、持ってきていたペットボトルに水を入れて、じいちゃんの墓石にその水を掛けた。じいちゃんはその川が大好きで、よく降りていたらしい。じいちゃん喜んでっぞぉ〜、と叔母さんは笑いながら言っていた。そのあと家に戻り、おれは少しだけ寝た。18時ごろに起きると、掘りごたつが外されて、串刺しにされた鮎とヤマメが15匹ぐらい囲炉裏の周りにぶっ刺されていた。庭では炭が空気の通り道を確保できるように積まれて、BBQの準備が整っていた。家の周りには街灯はまったくなく、少し先も見えないほど、真っ暗になっていた。その日は曇っていたので星は見えなかった。みんなで火を囲ってビールを飲みながら肉や魚や野菜やウインナーを沢山食べた。Age Factoryはこれからどうなっていくんやろなぁ、楽しみで仕方ないなぁ、と父はニコニコしながら言っていた。顔が赤かったが、それが酒によるものか、火によるものかはわからなかったが、恐らく両方だろうなと思った。途中で大きな蛾が飛んできて、網戸に止まった。ばあちゃんは、これはじいちゃんかもしんねえなぁ、きっとあかりと央人が帰って来だがら、じいちゃん顔出しに来たんだぁ、と真剣な目で言っていた。ばあちゃん曰く、蛾や蝶は、死んだ人の魂が宿って、飛んでくるらしい。その蛾は、庭でおれたちが話をしている間、ずっと網戸に止まって動かなかった。こんなことはなかなかないよ、と父さんも驚いていた。あれはほんとにじいちゃんなのかもしれないなと、おれは缶ビールを飲みながら火の向こうの網戸に張り付いた蛾をぼーっと見ていた。

たらふく食べて、風呂に入って、ばあちゃんが敷いてくれた布団の中で、ゆっくりと眠った。いつもより深く眠れた気がした。朝起きると叔母さんが朝ごはんを用意してくれていた。それを食べて、出発の準備をした。家を出るとき、ばあちゃんはおれの手を強く握りしめて、また来てくれな、と言った。父さんのこと、よろしく頼むな。頼むな。と続けて言ったばあちゃんの目には涙が浮かんでいた。おれは、うん、大丈夫、わかったよ。と言って、手を離した。最後にみんなで写真を撮って、最寄り駅まで父が車で送ってくれると言うので、車に乗って駅へ向かった。電車に乗る前、父は餞別だ、と言って、お金の入った封筒を渡してくれた。これが今のおれの精一杯だ、すまんな、と父は照れ臭そうに笑っていた。まだ父が奈良に住んでいたとき、父が福島に帰ることが決まってから、父はおれのバイト先の居酒屋によく1人で飲みにくるようになった。1人でふらっと来ては、央人いますか?とホールの女の子に聞いて、おれが厨房にいることを確認するとそのまま店で1時間ぐらい飲み、ふらっと帰る、ということが、よくあった。ある日、父がいつものように飲みに来て、帰り際、増子の父さん帰るぞ!と店長が厨房にいるおれをレジに呼んだ。おれはなんだか照れ臭かったのでさっさと帰ってほしかった。レジで父さんはおれに近付いて、おれのズボンのポケットに何かを入れて、店長に聞こえないような小さな声で、これでなんか美味いもん食え、と言って、店を出た。ポケットからそれを取り出すと、それは何回も折られて小さくなった箸袋だった。その中には同じく何回も折られた五千円札が入っていた。恐らく父は、おれがお金を渡されているのを店長に見られると恥ずかしいだろうと思い、箸袋に無理やり詰め込んだんだろう。何故か涙が出そうになったのをぐっとこらえて、厨房に戻って皿洗いをした。こういうのは、金額の話じゃない。その五千円札は、父の優しさと苦労が染み込んだそのくしゃくしゃの五千円札は、とても重たかった。東館駅から乗った列車の中で、そんなことを思い出していた。父は、おれが出会ってきた人の中で誰よりも優しくて、暖かくて、少し弱い。父には父の人生があり、妹には妹の人生があり、おれにはおれの人生がある。ただ真っ直ぐに走って、たまにこうやって集まって、また真っ直ぐに走る。夢の世界の出来事のような、ばあちゃんちでの特別な時間はあっという間に過ぎて、矢祭町から離れていく列車は汽笛を鳴らしながら郡山駅へと走った。今日はGOLDツアー2本目、仙台へ向かう。

 

 

 

 

 

 

2018.11.03

リハーサルが終わり、ライブハウスを出て、去年ツアーで郡山に来たときに行った古着屋に行ってみた。あそこの店員さんはとても綺麗で、確かあのとき、少し話をして、おれは気に入った茶色のフリースを買った。まだあの人はいるかなと、少し期待して古着屋へ入ると、その店員さんがいた。やっぱり綺麗だった。店員さんはあのときと同じように、気になったものがあれば気軽に試着してくださいね、と少し訛ったイントネーションでおれに言った。その人はまるでおれに気付いていなかった。当たり前だ、一年も前の1人の客のことを覚えているはずがない、でも話しかけてみたらもしかしたらおれのことを思い出すかもしれないと思ったが、もしかしたら覚えていないかもしれないし、そう思うとなんだか急にどうでもよくなって、何も買わずに店を出た。そして20分ほど歩いて、麓山公園に着いた。郡山市の木々は鮮やかな赤や黄色を身に纏っていた。確かこの前のツアーも、同じような時期に郡山に来て、綺麗な紅葉を先取りして見て、得した気持ちになっていた気がする。あのときも父が見に来て、ライブ終わり1人飲みしていた父と、打ち上げが終わってから合流して、回らない寿司に連れて行ってもらった。今日もまた、矢祭町からライブに来るらしい。父と会うのはそのときぶりだ。1人で郡山の街を歩いていると、冷たい風や周りの紅葉たちがあまりにも綺麗で、永遠にこのままこの時間を繰り返していたいと思ってしまった。ふといつかのツアーで行った秋の札幌のことを思い出した。やはり寒い土地は紅葉が関西よりも早くに始まっていて、そのときもすでに木々は秋色に染まっていて、妙な高揚感に包まれたのを覚えている。札幌の時計塔の前で弾き語っていたあのドイツ人は、今はどこを旅しているのだろう。もしタイムマシンがあったのなら、あの美しい紅葉に囲まれたあの日の時計塔のてっぺんに登って、高さに怯えながら、日本列島を見下ろしてみたいと思った。耳を澄ませばあのドイツ人の弾き語るメロディと鳥の羽音が聞こえてくる。人の話し声や車の騒音は聞こえない。そんな素晴らしいことを、夢の中でもいいからしてみたい。

麓山公園のベンチに20分ほど座っていたが寒くなってきたので近くにあった喫茶店に入り、村上春樹ノルウェイの森下巻を読み切った。外はすっかり暗くなって、もうすぐライブが始まる時間になっていた。窓の外を走る車のヘッドライトは目前の車を照らし、秋は静かに街を染めていた。そろそろライブハウスへ戻ろう。

 

 

 

2018.11.01

昼前に寒さで目が覚めた。カーテンを開けると窓の外は冷たそうな灰色の空気で塗り潰されていた。去年買った厚手のパーカーを引っ張り出して、去年と同じように着てみた。夏を思い出そうとしても、もう随分昔のことのように感じて、蝉の声も、山の上に伸びる入道雲も、夕立の後の街の香りも、もう忘れてしまった。また同級生が結婚していた。昔、一度くらいヤレたらいいなと思っていたあの同級生も、すっかり母親の顔になっていた。街行く人々はダウンジャケットやコートを羽織って、もうすっかり冬の装いをしていた。おれはまだ少し気持ちがついていけず、去年の冬の匂いのするパーカーを着て部屋の窓からぼーっとただ外を眺めていた。腹が減ったので寝癖を直して髭を剃って、街へ出かけた。やっぱり街にはもう冬が片足を突っ込んで軽く会釈していた。入ったコンビニですれ違った髪の毛がボサボサでジャージ姿の女の人から昔好きだった女の人の匂いがして、少し嫌な気持ちになった。缶ビールでも飲もうかと思ったが、やめて爽健美茶にした。誰も人の頭の中のことはわからないし、誰も人の物にはならない。目の前を歩くあのサラリーマンにぶつかった冷たい風は同じようにおれの無防備な頬にぶつかった。今日も奈良では何も起こらない。明後日からツアーが始まる。

 

 

 

2018.10.25

この前、TSUTAYAでDVDを借りて、映画を見た。犬の話だった。頭の中は、昔飼っていた源太郎のことでいっぱいになった。その映画は、犬は死んだ後に転生して、昔の記憶を持ったまま、また犬になるって話だった。そんな話、ないとはわかっているが、その話を信じ込むことで、またいつかゲンに会えるかもしれないと思いながら生きていけるなら、そんな考え方もありかなと思った。

なあゲン、またおれの話を聞いてほしい。もうお前に話したいことが沢山溜まってるんだ。お前が遠くに行ってから、色んなことがあったんだ。また会えたら、お前と出会ったあの公園に行って、あのときみたいに、おれはずっとお前に日々の話しをしたい。お前はあのときと同じように、まるでおれの話なんか聞いてないような顔で、この世界の輝きに目をキラキラさせて、外の景色を必死に目に焼き付けようとするだろう。お前は賢いから、きっと自分の人生が短いということをわかってたんだろう。だからあんなにも一生懸命走って、一生懸命食べて、一生懸命吠えて、一生懸命生きてたんだろう。真似しなきゃいけないなって、26歳になってからやっと気付いたよ。おれもお前みたいにがむしゃらに走り続けるから、その先で、秋の落ち葉の絨毯に乗って、待っていてほしい。