goodbye,youth

増子央人

2017.06.23

朝起きて、タレントの小林麻央さんが亡くなったことをニュースで知った。たまにブログを読んでいた。30代前半、子供を産んですぐガンになるなんて、もしおれならとても卑屈になり人生に絶望して、頭の中で悲劇のヒロインになってしまうと思う。それなのに、そんな状況にもかかわらずただただ前向きで明るい彼女のブログは衝撃的だった。最近は読んでいなかった。亡くなったことを聞いてすぐにブログへアクセスした。意識がなくなる前日までブログを更新していた。最後の記事も、いつも通り、些細な日常の幸せを感じる明るい記事だった。こんな人がいるのかと思うほど、明るく前向きな人で、出会ったこともないおれにはまったく関係のない人なのに、朝のニュースはとても悲しかった。おれはあのブログを読んでいるとき、最後にはガンは治って、家族とずっと幸せに暮らすんだろうなと勝手に思い込んでいた。ハッピーエンドの映画を見ているつもりだった。あまりの唐突な死の知らせに、悲しくなり、でも夜になるとその気持ちは少し薄れて、晩御飯のことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.06.21

用事があったので東京に1人残り、夜行バスに揺られて帰ってきた。梅田に降りると雨が降っていた。バスで首を寝違えた。薄いタオルケットは少し寒かった。冷えた体に雨が染み込んだ。通勤ラッシュ、スーツの大人たちに紛れて昨日から着替えていない汗臭いTシャツのおれは逆方向へ帰る。電車の向かいの窓に映る自分の顔は酷くくたびれていた。赤い近鉄電車から見える石切の景色は今日は霧で見えなかった。

 

 

2017.06.15

人の想像力は限りなく自由だ。ビッグバンのように想像力を爆発させる。人は腕からビームを出すこともできるし空を飛ぶこともできる。恐竜と友だちになることもできるし、宇宙にだって行ける、憧れのスーパーヒーローにもなれる。何でもできる。人の想像力は海よりも青く、宇宙よりも深く、太陽よりも光り輝くことができる。誰かに注意されることも、馬鹿にされることもない。6月の青い空をじっと見つめていると、明日のバイトのことも来月の支払いのことも急にちっぽけなものに感じてどうでもよくなる。海の青は濃く、空の青は少し薄い。どちらも美しい。吸い込まれそうなあの青に僕らは想像力を働かせ、脳味噌が溶けていく。

 

2017.06.10

大阪でライブがあった。昔から大好きなバンドのボーカルが新しく始めたバンドの、初ライブ、初共演だった。とてもカッコよかった。ドラムの女の人の手にはたくさんのテーピングがされていて傷だらけだった。刺激を受けた。帰り道、また昨日ライブハウスで買ったCDをウォークマンで聴きながら帰った。

2017.06.09

夜、大好きなバンドを見にライブハウスへ行った。帰り道、ライブハウスで買ったそのバンドの発売したばかりのCDを家から持ってきたCDウォークマンで再生した。CDを聴きながら自転車を漕いでいると、目の前を蛍が通った。今年初めて見た。感動して、SNSにあげようと思いiPhoneを準備していたら遠くへ飛んで行ってしまった。片手にiPhoneを握ったまま、それをただ見つめていた。もしかしたらあの場所に蛍がいるかもしれないと思い、家の近くの蛍がよく出る場所に行くと、やはりいた。初めはおれが来たことに気付いて光るのをやめてしまった。5分ほどその場でじっとしていると、じわりじわりと星のように色んな箇所で光りだした。あの瞬間、星空が地上に降りてきたようだった。ふと上を見ると満天の星空が広がっていた。蛍と星以外の光はない、まるで宇宙にいるようだった。人はなんで光るモノに感動するのだろう。その理由をずっと考えていたけどわからなかった。蛍は美しく儚い。それはまるでおれの大好きなバンドのようだった。必ず終わりはくる、わかっていながらも一生懸命光る。それだけが彼らの存在意義で、それがこの世の何よりも美しいとわかっているから。終わってしまうその瞬間まで、光り続ける。その生き様に、いつの時代も人々は魅了される。

2017.06.08

久しぶりに1日何も予定のない日。東京から車で帰ってきたのが朝方、家に着いて昼過ぎまで寝ていた。起きて録画していたバラエティーを見ながらダラダラ準備をし、映画を4本借りに行った。帰ると母が帰宅していて、粗大ゴミの日だからとゴミ出しを手伝わされた。昔飼っていた犬が外に出ないため作った木の柵を庭の隅から取り出してきた。確か父が作ったものだ。もう使い道もないし邪魔だから捨てた方がいいのはわかる。でもあまり気は進まなかった。ゲンはあの柵によく手をかけて餌をねだってきた。おれが母とケンカをして家出(庭に)したとき、柵にもたれて座り込んでいるおれの横にずっと居てくれた。クゥーンと鳴く声はおれを慰めてくれているようだった。柵をすべて捨てたあと、借りてきたSTAND BY MEを観た。80分、映画の中では一晩の話だった。10代のあの輝きは何歳になって観てもきっとあの頃と同じ輝きをしている。その光によってできた影も、照らされている本人は気付かない。あの映画に照らされている時間は日常のすべてを忘れている。だから素敵なんだ。ずっと見つめ続けると目を潰す。それすら美しく感じる。

2017.06.07

東京からの帰りの車の中。渋谷はビル風が強く、意志のない人間は立っているのも難しそうな程の強い風が吹いていた。今日で関西は梅雨入りしたらしい。雨は本当に嫌いだ。足元が濡れるのには耐えられない。動く気が失せる。渋谷では人が流れては消えていく。高架下を通るとき、おれは毎回ホームレスの寝床を流し目で覗く。普通の環境で育ったおれには、あの光景は何度見ても慣れない。あそこで人が寝ているなんて、未だに信じられない。おれにとってあれは非現実的な空間で、高架下を通ると何か変な感情になる。その高架下を抜けるとタワーレコードがある。突然視界に黄色い建物が現れ、音楽が鳴り響く。ビル風というものは奈良県民にはとても新鮮だった。ビルという建物はおれにとって仕事の象徴だ。あいつらはまるで部外者のおれを追い払うかのように強く強く風を吹かせた。あの強い風は海辺のそれとはまるで違うように感じた。とても冷たくて、無機質で、少し怖かった。