goodbye,youth

増子央人

2020.03.26

家に帰ってきて、なんとなくiPhoneSNSを見ていると、福島のばあちゃんの家について書かれている記事を見つけて驚いた。毎日新聞の記事だった。以前にも何度かここに書いたことがあるが、福島のばあちゃんの家では椎茸を栽培している。数年前にじいちゃんが亡くなり、父が福島へ帰り、今ではばあちゃんと父と父の妹の正代叔母ちゃんの3人で椎茸農家をやりくりしている。福島の原発事故のあと、ばあちゃんの家は海から遠く離れた矢祭町にあるので椎茸の放射線量の数値は何も問題なかったのに、常連さんのもとに椎茸を売りに行ったとき、殺す気か!と叫ばれ、正代叔母ちゃんが泣きながら車へ戻ってきたと聞いた。奈良で生活をしているおれには関係のないことだったが、その話を聞いて胸が痛くなった。原発事故の風評被害を初めて身近に感じた瞬間だった。一昨年のツアーで福島へ行き、オフ日にばあちゃんちに帰ったとき、みんなでBBQをして軽く飲んでもう寝ようとしたときも家の隣の倉庫の明かりは付いていて、正代叔母ちゃんが1人で作業をしていた。風評被害で涙を流した姿など想像できないぐらい、おれの記憶に残る正代叔母ちゃんはいつも笑っている。じいちゃんの葬式の日の夜ですら、綺麗な笑顔で酒を注いでくれた。

記事を読んで、なぜかわからなかったが、涙が出てきた。負けないよう、真っ直ぐ、地道に、走り続けたい。色んな物事に、勝てなくても、負けたくないと思った。