goodbye,youth

増子央人

2020.01.16

実家の近所に、はなちゃんという犬がいた。おれははなちゃんが15年ほど前にその家に来たときから知っていた。おじさんはとにかくはなちゃんに溺愛していて、車庫に置いてある車を洗車するときにいつも近くに繋いでいた。「おれが外に出て行くと部屋の中でキャンキャン鳴いてうるさいねん。こうやって近くにいてやったら鳴かへんからな、ここに繋いでんねん。」いつかのおじさんが少し嬉しそうに話してくれた。半年前に実家に帰ったとき、たまたまそのおじさんとはなちゃんに会えた。散歩から帰ってきたところだった。はなちゃんの目は白内障で白くなっていて、昔みたいに出会い頭に飛びついてきて顔を舐め回してきたりもせず、よたよたとこちらに近付いてきてぺろりと手を舐めてくれるだけだった。「もう歳でな、最近特に歳とったなあと思うわ。」おじさんが寂しそうに言った。「まだ音楽やっとるんか?そうか。体に気つけて頑張れな。でもたまには帰ってきいな。お母さんのことも、気にかけたれな。」おじさんはいつも、おれのことや、うちの家族のことを気にかけてくれていた。おじさんは、釣りに出かけて魚がたくさん釣れた日には、うちに魚を少しお裾分けしてくれた。助手席にはいつもはなちゃんが、ここは私の席だからね、と言わんばかりの得意げな顔で座っていた。おれは2人のことが好きだった。今年の正月に実家に帰ったとき、おじさんの家の前を通ると、いつも綺麗に洗車していたおじさんの車の運転席と助手席の間に、はなちゃんの写真が飾ってあったのが見えた。前まであんなのはなかったので嫌な予感がして母に聞いてみると、つい先月亡くなったとのことだった。あ、そうなんだ、はなちゃん、もういないんだ。急に虚しくなった。おじさんのことが心配だったが、実家に帰っている間には結局一度も会わなかった。2人には、あの場所に帰ればいつでも会えると心のどこかで思っていたので、なんだか急に考えるのが面倒くさくなり別のことを考えたてみたが、はなちゃんが死んだという刺すような事実だけが頭の中でふわふわと浮かんでいた。無目的なまま浮かんでいるくせに圧倒的な存在感を放つその事実に腹が立った。誰かが死んだときはいつもそうだ。

時計の針が止まることはない。はなちゃんがあの家に来てからもうそれだけの年月が過ぎていたんだと思うと少し不思議な気持ちになった。実家のおれの部屋にある目覚まし時計の針は電池が切れて、ずっと17時20分を指したまま止まっていた。嘘つくなよ。死んでんじゃん。めんどくせー、と思った。