goodbye,youth

増子央人

2019.09.03

機材車は東京から奈良へ向かって夜の高速道路を走っている。東京にいる間、福島にいる父から連絡が来た。今朝、ハイウェイなんとかを初めて聞いたよ。良い感じだから、あれは売れるよ。間違いない!とLINEで送られてきた。SWEET LOVE SHOWERのライブ生配信も、ばあちゃんと父の妹のまさよ叔母さんと3人で見てくれていたらしい。ばあちゃんからは少し前に奈良の家に暑中お見舞いが届いた。おれはばあちゃんが書く文章が大好きで、一度封から出したその手紙をしばらく直さず、ソファの前の机の上に広げっぱなしにして3回は読んだ。手紙の返事をまだ書けていない。暑中お見舞いの返事なのに気がつけば山梨県で9月を迎えていた。夏は終わってしまったのかもしれない。きっと福島の矢祭町も夏から秋へ移り変わる衣替えをしているに違いない。次第に山は紅葉に包まれ、川の水は少しずつ温度を下げていくのだろう。田んぼの稲は背丈を揃えて整列し、綺麗な緑で町を飾っているのだろう。高速道路を走る機材車の中、目を閉じれば瞼の裏にその光景を思い浮かべることができる。あんなに綺麗な場所であんなに綺麗な人たちが作る椎茸は、原発風評被害にも負けず、今日も関わっている沢山の人を幸せにしているのだろう。

小学生の頃、ほぼ毎年、夏休みになると福島のばあちゃんの家に家族で遊びに行き、数日間をそこで過ごしていた。そこで過ぎて行く夏休みが、楽しくて仕方なかった。近くの田んぼの用水路でタガメを捕まえたり、家の近くの川で鮎を捕まえて塩焼きにして食べたり、イモリを捕まえて奈良に持って帰って水槽で飼ったり、たまたま下流に降りてきていた出産前の大きなサクラマスを父さんと網で捕まえたり、図鑑の中でしか見たことのなかったような大きなミヤマクワガタをじいちゃんが捕まえてきてくれたり、何回やってもじいちゃんに腕相撲勝てなかったり、家の前でみんなでした手持ち花火でアスファルトに絵を描いたり、毎年8月にはあの場所での宝石のような記憶が、暗室でフィルムを現像するときのように、じわじわと脳内に浮かび上がってくる。忘れないようにしたい。奈良に帰ったら手紙の返事を書こう。