goodbye,youth

増子央人

2019.07.11

以前よりずっと、答えを出すことが難しく感じるようになった。一つの物事の多面性をできるだけ色々な角度から見れば見るほど、正解は無数に存在し、簡単に否定をできなくなった。

映画や小説に、結論をあまり求めなくなった。

気がつけば7月になっていた。鬱陶しい梅雨が続き、田んぼに植えられた苗は綺麗に整列している。バイト先の中国人の社員は大阪の店舗へ転勤になった。「心から感謝です。奈良店お仕事楽しいです。皆様にお元気で頑張りましょう!さよなら、さよなら。」とLINEに残して、店のグループLINEを退会していた。ストレスで赤い蕁麻疹が広がっていた彼の顔を思い出した。この前、最近入ってきた短髪金髪の見るからにやんちゃそうな高校生の男の子にふと、お前は中国人嫌い?と聞いてみた。一瞬のためらいもなくそいつは、いやそういうのないっす、国とかそういうので差別するの自分嫌いなんで、と、純粋な目をして言った。その目は無知ゆえにまだ濁っていないだけか濁る余地のないものなのかまでは勿論わからないが、その透明さに自分の濁りが目立って見えた。その後にホールにいたおれと同い年の女の子に同じことを聞いてみた。そいつも一瞬のためらいもなく、めっちゃ嫌い、だって汚いし図々しいし、と言った。

その日は短髪金髪の高校生につまみ食いの極意を教えた。いかに社員にバレないように食べるかが自分たちのオアシスを守るコツなんだと説明した。そのあと、そいつとの会話の中で、そいつの中学生の頃のバスケ部の顧問が、おれの高校時代の一個下の後輩だったことが判明した。それが判明した直後は驚きと久しぶりにその後輩の名前を聞いたのが嬉しくて少し興奮したが、少しあとに何とも言えない感情になった。おれの後輩が先生として接しているこいつにおれは何てしょうもないことを教えていたのだと、数分前につまみ食いの極意を説明した自分を猛烈に恥じた。生きていれば色んなことが起こるらしい。そして奈良は狭かった。

最近の香港のデモで、中国の今の政治状況を初めて知った。人を判断するときにはやはり、目の前にいるその人のことだけを見るべきで、その人の国の政治状況なんて気にしなくていいはずだが、最近はそう簡単に判断できないのかもしれない、と思うようになってきた。これは悲しい成長なのかそうではないのか、それすらもわからない。ただ、知りたいと思う。知った上で自分はどこまで濁るのか、何が見えなくなり、何は見え続けるのか、綺麗だと思っていたものを汚いと思うのか、その逆はあるのか、それを知りたいと思う。