goodbye,youth

増子央人

2018.12.17

高3の夏、そのとき組んでいたコピーバンドのスタジオで、初めてRe viewのCDを聞いた。青い目のジャケットで3曲入りの1st ep。同い年で、全部自分たちのオリジナルの曲だということを聞いて、とてつもない衝撃を受けた。こんなにカッコいい奴らが同い年で奈良にいるのかと、そのときは、ただやべえ〜凄え〜としか思わないぐらい、おれとはステージの違う話だと思っていた。

冬が過ぎて受験も卒業式も終わった3月に、通っていた高校の卒業ライブを奈良ネバーランドで行なった。勿論全バンドコピーバンド。その日、てるがJKを見るためにネバランに来ていた。マキシマムザホルモンRADWIMPSのコピバンをしたおれに、ライブ後、てるがデモCDを渡してきた。Re viewってバンドやってます、よかったら聞いてください、と言って、青い目のジャケのCDを渡された。おれは驚いたし、なんでコピバンで叩いていたおれに渡してきたのか不思議だったけど、ドラムを認められた気がして嬉しかったのを覚えている。

DROP CLOCKに入ってから、Re viewとより濃く付き合うようになった。名古屋にいっしょにライブしに行ったとき、てるが打ち上げで女ばかり口説いて全然飲まないどこかのバンドのボーカル(まったく誰だったか覚えていない)にキレて喧嘩になっていた。いつも大体てるが間違っているが、そのときはたぶんてるは間違ってはいなかった。OVER ACTIONと対バンの日の打ち上げは、2人でよくますのりさんに挑んだ(酒で)。ほぼ毎回返り討ちに合っていた。たまにもう飲みたくないと思って逃げたくなったときは、ゆうまの近くに行って休憩していた。打ち上げでゆうまの姿を見ると少し安心した。てるが交通事故で鎖骨を骨折したときは、ネバランでRe viewのサポートドラムを叩いた。その日はRIDDLEが奈良に来るという日で、ゆういちもゆうまもおれもとても興奮していた。ライブ前日にスタジオに入って、そのスタジオにはてるも来た。完コピしたおれを見ててるは悔しそうに笑っていた。次の曲絶対コピーできひんぐらい難しくしたろ、と言っていて、本当にそのあとに出来た新曲のドラムが複雑で、初めて聞いたときなんだか笑ってしまったのを覚えている。初めて東京のサーキットイベントでAge FactoryとRe viewが同じ日になったときは嬉しくて、新宿でゆういちと飲んだ。最近の話やこれからの話を沢山した。

何度も何度も泥々の夜を一緒に超えた。覚えているのは喉の奥から上ってくる苦い胃液の味と、なんとなく楽しかったということ。同じことを何回も繰り返して、気がつくとおれらは26歳になっていて、周りはすっかり大人になっていて、就職をして、結婚したやつもいて、子どもがいるやつもいて、おれにとってまだそういう話は別世界の話で、遠い先にそういうことを想像してもやっぱり現実味がなく、嘘の世界の話を想像しているみたいな気持ちになる。Re viewは唯一、同い年で近い思い出を沢山持っていて、奈良で同じような気持ちになっている奴らだろうなと勝手に思っていた。ゆうまは父になるんだって。まだ想像がつかない。きっとあいつもまだ想像がついていない。みんなきっとそうやって、走っているうちに大切なものができて、ぼやっとしたまま小さい頃想像していた幻想のような現実に突っ込んで、無理やり大人になっていく。その勇気や覚悟はやっぱり、おれにはまだないものなので、とても偉大で大きく見える。

昨日のRe viewのライブはあんまり良くなかった。だから早く昨日を更新してほしい。最高を更新し続ける奴だけがカッコいい。そんな姿だけを見せ合いたい。