goodbye,youth

増子央人

2018.11.05

東館駅から郡山駅に向かう列車は風景とは似合わないような近代的な見た目で、列車の中にはトイレまで付いていた。緑に覆われた山の中を鮮やかなペンキで塗られた列車が走る。たまに鳴る汽笛の音が、山の風景にとても似合っていた。

昨日、父はライブハウスへ来た時点で既にベロベロになっていた。1人で15時から飲んでいたらしい。恐らくライブハウスというものに慣れていないから緊張していたんだと思う。GEZANのライブ終わり、フロアから後ろの楽屋へ戻ろうとしたら父がバーカウンターに頭をつけたまま寝ていた。もうこの人は駄目だと思った。終演後、バーカウンターへ行くと、東京で一人暮らしをしている妹がサプライズで来てくれていた。だがおれは妹が来ることを知っていた。まあ色んな事情があり、父はおれに、妹が来ることを電話で話してしまっていたのだ。それをライブハウスへ来てから知った妹は父にブチ切れ、しかし父はベロベロ、中々訳の分からない空間だった。ハコで軽く打ち上げをし、おれは2人が飲んでいる居酒屋へ行った。2人はまだ喧嘩をしていたようで、カウンターに座る2人は背中を向けあい父は熱燗を、妹はなんだかよく分からない酒を飲んでいた。久しぶりに3人で飲むというときに、なんて悪い空気なんだと、おれはもはや半笑い状態だった。なんとか仲直りをさせ、2軒目に小洒落たバーに行き、そのあと父だけホテルに戻りおれは妹と初めて2人で飲んだ。確か朝の5時頃まで飲んだ。昔の話やこれからの話を沢山した。そしてホテルに戻り、シャワーを浴びてチェックアウトの時間まで泥のように寝た。

次の日、チェックアウトしてメンバーは仙台へ先に行き、おれだけ父と妹と合流した。父が絶対におれたちに見せたいと熱弁してきた、郡山駅の隣の、科学館のような場所の22階にあるプラネタリウムに朝から連れて行かれた。昨日のライブ前、父は1人でここへ来てプラネタリウムを見て泣いたらしい。父の感受性におれは感心した。確かにプラネタリウムは素晴らしかった。スクリーンに南半球の星空を映し出して、それをスタッフのお姉さんが解説してくれた。夜空に浮かぶ星を見て星座を作った昔の人たちの想像力は凄い。だって水瓶座なんて、どことどこをどう結べばあんなことになったのか、さっぱりわからない。恐らく何でもありなんだ。今車窓から見えるあの雲が鯨に見えると言えば鯨に見えるし、パイプを逆さにしたようにも見えるし、少し変形したギターのようにも見える。限りなく無限な空の話は、大体何でもありだ。プラネタリウムのあと、郡山駅から車で2時間かけて矢祭町のばあちゃんの家に向かった。今父が暮らしている場所だ。山の中へ進むにつれてどんどん緑は深く、空気は透明になっていった。ばあちゃんちに着くと、キラキラした瞳のばあちゃんと叔母さんが出迎えてくれた。おれたちはすぐに用意してくれていた昼ごはんを食べ、じいちゃんの墓参りに行った。墓参りのあとに、近くに川があったので降りた。一緒にいた叔母さんが、ここの水汲んでじいちゃんにかけてやったらいいじゃん!と言うと、父さんは、かおり良いこと言うなぁ、と、本当に心底そう思ったのだろうなという顔で叔母さんに言い、持ってきていたペットボトルに水を入れて、じいちゃんの墓石にその水を掛けた。じいちゃんはその川が大好きで、よく降りていたらしい。じいちゃん喜んでっぞぉ〜、と叔母さんは笑いながら言っていた。そのあと家に戻り、おれは少しだけ寝た。18時ごろに起きると、掘りごたつが外されて、串刺しにされた鮎とヤマメが15匹ぐらい囲炉裏の周りにぶっ刺されていた。庭では炭が空気の通り道を確保できるように積まれて、BBQの準備が整っていた。家の周りには街灯はまったくなく、少し先も見えないほど、真っ暗になっていた。その日は曇っていたので星は見えなかった。みんなで火を囲ってビールを飲みながら肉や魚や野菜やウインナーを沢山食べた。Age Factoryはこれからどうなっていくんやろなぁ、楽しみで仕方ないなぁ、と父はニコニコしながら言っていた。顔が赤かったが、それが酒によるものか、火によるものかはわからなかったが、恐らく両方だろうなと思った。途中で大きな蛾が飛んできて、網戸に止まった。ばあちゃんは、これはじいちゃんかもしんねえなぁ、きっとあかりと央人が帰って来だがら、じいちゃん顔出しに来たんだぁ、と真剣な目で言っていた。ばあちゃん曰く、蛾や蝶は、死んだ人の魂が宿って、飛んでくるらしい。その蛾は、庭でおれたちが話をしている間、ずっと網戸に止まって動かなかった。こんなことはなかなかないよ、と父さんも驚いていた。あれはほんとにじいちゃんなのかもしれないなと、おれは缶ビールを飲みながら火の向こうの網戸に張り付いた蛾をぼーっと見ていた。

たらふく食べて、風呂に入って、ばあちゃんが敷いてくれた布団の中で、ゆっくりと眠った。いつもより深く眠れた気がした。朝起きると叔母さんが朝ごはんを用意してくれていた。それを食べて、出発の準備をした。家を出るとき、ばあちゃんはおれの手を強く握りしめて、また来てくれな、と言った。父さんのこと、よろしく頼むな。頼むな。と続けて言ったばあちゃんの目には涙が浮かんでいた。おれは、うん、大丈夫、わかったよ。と言って、手を離した。最後にみんなで写真を撮って、最寄り駅まで父が車で送ってくれると言うので、車に乗って駅へ向かった。電車に乗る前、父は餞別だ、と言って、お金の入った封筒を渡してくれた。これが今のおれの精一杯だ、すまんな、と父は照れ臭そうに笑っていた。まだ父が奈良に住んでいたとき、父が福島に帰ることが決まってから、父はおれのバイト先の居酒屋によく1人で飲みにくるようになった。1人でふらっと来ては、央人いますか?とホールの女の子に聞いて、おれが厨房にいることを確認するとそのまま店で1時間ぐらい飲み、ふらっと帰る、ということが、よくあった。ある日、父がいつものように飲みに来て、帰り際、増子の父さん帰るぞ!と店長が厨房にいるおれをレジに呼んだ。おれはなんだか照れ臭かったのでさっさと帰ってほしかった。レジで父さんはおれに近付いて、おれのズボンのポケットに何かを入れて、店長に聞こえないような小さな声で、これでなんか美味いもん食え、と言って、店を出た。ポケットからそれを取り出すと、それは何回も折られて小さくなった箸袋だった。その中には同じく何回も折られた五千円札が入っていた。恐らく父は、おれがお金を渡されているのを店長に見られると恥ずかしいだろうと思い、箸袋に無理やり詰め込んだんだろう。何故か涙が出そうになったのをぐっとこらえて、厨房に戻って皿洗いをした。こういうのは、金額の話じゃない。その五千円札は、父の優しさと苦労が染み込んだそのくしゃくしゃの五千円札は、とても重たかった。東館駅から乗った列車の中で、そんなことを思い出していた。父は、おれが出会ってきた人の中で誰よりも優しくて、暖かくて、少し弱い。父には父の人生があり、妹には妹の人生があり、おれにはおれの人生がある。ただ真っ直ぐに走って、たまにこうやって集まって、また真っ直ぐに走る。夢の世界の出来事のような、ばあちゃんちでの特別な時間はあっという間に過ぎて、矢祭町から離れていく列車は汽笛を鳴らしながら郡山駅へと走った。今日はGOLDツアー2本目、仙台へ向かう。