goodbye,youth

増子央人

2018.09.01

左手に大きな富士山が見える。えーすけが車の窓を開けると涼しい風が流れ込んできた。山中湖が近い。昨日で8月が終わった。

例えば文字で人柄は作れる。例えば金があれば良い人間になれる。それらは正しくはない。が、正しくもある。文章は時間をかけて生み出すことができる。例えば今あなたが読んでくれているこの文章が産まれるまでに一体どれだけの時間がかかったかなんて、あなたにはわからない。何も考えずほんの数秒で書いているかもしれないし、何日も熟孝して書いているかもしれない。例えば一週間Twitterにおれが他人の悪口や酷いことを書き散らせば、それを見ているみんなはきっと、あの人は本当はこういう人だったのか、とか、何かあったかな大丈夫かな、とか、やっぱ根はイかれてるんだ、とか、まあ何かしら思うだろう。良いことだけを書き散らせばきっと大抵のみんなは、おれのことを良い人だと思うだろう。今の時代、他人からの印象は文字で作れる。但しそれをするにはある程度の知識がいるが。金の話で言うと、例えばおれに今貯金が1千万円あったとすれば、いやそれは少し飛び過ぎか、10万でいいや、10万円も貯金があったとすれば、少なくとも、今より少しだけ気が楽になるだろう。表には出さないが心の中でイライラしているようなことも、格段に減るだろう。心が広くなる。もっと金があれば、例えば簡単に寄付だってするだろう。タクシーの運転手に、釣りはいいです、なんてことも言うことができるだろう。金のない後輩たちを集めて定期的に宴会を開き、おれが全額出す、きっとみんなはおれのことを良いやつだと言うだろう。金があれば良い人間にもなれる。こういったぺらぺらの話は、間違っているが、間違っていない。そういうものなんだ。

でも、例えばその人が今まで生きてきた密度や時間は、大量の金があったとしても、変えることはできない。実際に会って目を見てその場でその人から出てきた言葉を聴いて会話をすれば、その人がどういう人なのかは、なんとなくわかる。時間と空間を共有するということは、だから大事なんだと思う。

奈良から移動する車内でふと、そんなことを考えた。考えて、文字にした。文字がなければ、世界は存在しない。そう思った。