goodbye,youth

増子央人

2020.01.12

リュックからまだ醤油の匂いがする。ベランダにあるエアコンの室外機の上に置きっぱなしにしていたぐしょぐしょの文庫本は悪魔が舞い降りた朝の次の日雨に晒されてさらにぐしょぐしょになっていた。自己の失敗を悪魔のせいにしようとしているわけでは決してない。ただそんな言い回しにでもしないと理解ができないしやってられないのだ。とにかく文庫本には本当に申し訳ないことをしている。ヴィヨンの妻よ、また明日も引き続き室外機の上で水分を出し切ってくれ、そう心の中で唱えてそっと窓を閉めた。翌日の夕方、ヴィヨンの妻を確認すると、小学生の頃に近所の溝で発見した週刊プレイボーイの状態に酷似していた。まだ少し濡れているがページはめくれる状態。そのときに初めて女の人の裸体を見た。大犯罪を侵してしまった、自分は暗黒に染まってしまった、そんな気持ちになったが、ページをめくる手は止まらなかった。よっぽど衝撃が強かったのだろう、今でもそのときの感情を鮮明に思い出せる。そんなことはどうでもよく、豊洲ピットの楽屋に置いているリュックからまだ醤油の匂いがするという事実がもうどうしようもなく虚しかった。

リハーサルを終え、楽屋に戻りiPhone天皇杯男子バスケの決勝戦を観ていた。常に1、2点差を争う超接戦、誰も居ないAge Factoryの楽屋で1人、うぉー!とかマジで!?とかよお決めた!!とか言って興奮していた。あまりに良い試合で、これは誰かと共有したいと思ってtricotとキュウソネコカミの楽屋がある一階に降りてみた。キュウソの楽屋から歓声が聞こえてきた。お?まさか、この歓声は?観てるのか?恐る恐る楽屋を覗いてみると大きなテレビでその試合を観ていた。おれも1人で今観てたんす!やばいすよね!楽屋に入れてもらい(というか勝手に入り)大興奮の中残り数十秒の試合をキュウソチーム+増子で見守った。接戦の末、サンロッカーズ渋谷が優勝した。PGのベンドラメ礼央選手はおれの一つ下の学年の選手で、延岡学園時代からスター選手だった。毎月読み漁っていた月刊バスケットボールにはいつも名前が載っていて、うわあ凄いなあ、こんなヤバい奴いるんかあ、と奈良のイオンの本屋で立ち読みしながら勝手に意識しまくっていた。ベンドラメ選手は大学卒業後プロに入り、オールスターや日本代表に選ばれるなど華々しい来歴を持っていたが、なんとなく千葉ジェッツ富樫勇樹選手の影に隠れていたイメージがあった。(おれがそんなにしっかりとBリーグを追って見ていないからそういう解釈になっているだけかもしれないが。)しかし今大会で見事優勝チームのエースガードになり、しかも大会MVPまで受賞していた姿を見て、純粋に感動した。当たり前だが、おれがあのときにやめたバスケをこの人たちは今もずっと続けていて、それを仕事にしている。無理無理、やっぱり無理やったんや、もう走るのもしんどいし、やめやめ。そう思ったあの日から今もずっと、あの人たちはコートを走り続けている。初めてBリーグの試合を生で見たとき、その事実に感動と尊敬が止まらなくなり、試合開始のブザーでコートに10人の選手が登場したのを見て涙が出そうになった。とにかく今日の試合は素晴らしかった。

ライブが終わってから軽くハコで打ち上げをした。tricotのひろひろさんに、最近お酒で失敗してない?と聞かれて、先日の調味料ぶちまけ事件の話をした。笑い話になるギリギリのライン。その話を聞いて他人が笑ってくれるのが唯一の救いだった。打ち上げが終わり機材車に乗り込んで豊洲ピットを出た。高速に乗りしばらく走っていると、レインボーブリッジと東京タワーが見えてきた。大興奮のおれとえーすけはやっばあとかすげえとかでっかあとかそんな小学生レベルの語彙力になっていた。何回東京へ来ても、東京の景色には慣れない。うわこれがか!やっば!これは封鎖できへんわ!えーすけはそう言いながら外の景色を動画に撮っていた。機材車はレインボーブリッジを渡って夜の高速へ。奈良に帰る。

 

 

2020.01.09

公園で散歩していた老夫婦に、この辺であの景色が一番綺麗に見える場所ありますか?と坂の下に広がる無機質な街の景色を指差して聞いてみた。どこやろなあ、駅の東側の方がやっぱりいいんちゃうかな。ちょっと歩くけど、若いから大丈夫やろ。と少し笑ってお爺さんが答えてくれた。おじいさんの言う通りの方角を目指して歩いてみた。とにかく坂が多い、というか、おそらく山の斜面に作られた街なので、基本的に坂だらけだった。少し歩いて山と反対側の景色を見るとあまりに綺麗で、景色を見るたびに嬉しくなった。本当はその駅を通り過ぎて隣の駅で降りる予定だったが、その駅からの景色が今日はあまりに綺麗で、特に時間に縛られた予定もなかったので、その駅で降りることにした。近鉄線で大阪から奈良まで帰る際に車窓から見える景色がとても好きでいつもここを通るときは見ていたが、降りたのは初めてだった。改札を出てから思い出したが、そこは父が15年前に働いていた街だった。初めて降りた街に、急に親近感が湧いた。

お爺さんが教えてくれた方向に歩いた先にあった、マンションの隣の小さな公園から見える景色がとても綺麗だった。大阪平野の景色を見ながら、しばらく考え事をしていた。しかし考えはいつも通り何もまとまらなかったので、帰ることにした。坂の多い街に住んだことはないので、勝手に住みにくそうなイメージを持っているが、たまに来るといいなと思う。長崎のStudio DO!というライブハウスがあった街も、坂が多くて好きだった。もうあのライブハウスは潰れてしまって、あの街に行くこともなくなったけど、たまに思い出す。確かメンバーとマネージャーとボロボロの中華料理屋に入って大失敗した。たまに思い出す。

スタジオによって少しドラムを叩き、家に帰って真っ先に缶ビールを開けた。2日前の絶望の朝、念仏のように酒をやめる酒をやめる酒をやめると唱えながら床の雑巾掛けをしていたのに、昨日あんなに我慢して酒を飲まなかったのに、何か大きなものを失ってしまう前にやめようと心に決めたはずだったのに、プルタブが缶に穴を開ける快音があっさりと短い禁酒生活に終わりを告げた。しょうもない。人なんてみんなどうせ何かに依存しながら生きてるんだよ、大丈夫。と昔見た映画の中の誰かの台詞を頭の中で念仏を唱えるように繰り返した。父に今日撮った写真でも送ってやろう、と思った。

 

 

f:id:shiromachi15:20200109204016j:image

 

 

 

2020.01.07

朝7時、ベッドの上で突然目が覚めた。昨晩の記憶が途中からない。部屋を見渡して絶望した。床は濡れていて、靴が4足床の上に転がっていた。何かを拭いたあとのずぶ濡れのキッチンペーパーの塊がソファの下に落ちていた。読み終わるまでもう少しだった太宰治ヴィヨンの妻はずぶずぶに濡れて、床に落ちていた。とりあえず乾かそうと思い、ベランダに出した。部屋のところどころに茶色い何かがついている。床に広がる液体に触れるとベタベタした。水ではなかった。2リットルの水が入っていたペットボトルと料理酒のペットボトルがソファの下に転がっていた。中身はまだ半分ぐらい入っていた。水のペットボトルのキャップはなく、料理酒のペットボトルは蓋が引きちぎられていた。リュックサックにも茶色い何かがびっしりこびりついていた。うんこか…?おれはついに、人として終わったのか…?と思ったが、味噌だった。あぁよかった、味噌か。と思ったが何も良くない。醤油の匂いもした。何があったのかさっぱりわからず、昨晩一緒に飲んでいたれおなに連絡をした。「2軒目から帰ってきて増子を部屋に入れたら、ごま油とか床にまいてたで。」理解ができなかった。一軒目の居酒屋でたまたま会ってそのまま一緒に飲んでいたRED SNEAKERSのやまもっちゃんも家まで送ってくれたらしく、ごま油はさすがに可愛そうやからとごま油がまかれていた部分だけ拭いてくれたらしい。キッチンペーパーはそれだった。一体どんな酔い方をすれば、部屋にごま油や味噌や料理酒や水をばらまくのか。床を美味しく調理して食べたかったのか。さすがにこんなことは初めてだった。iPhoneで好きな曲をかけながら、濡らしたタオルで床を拭いた。ベタベタがなかなか取れない。絶望、自己嫌悪の早朝。二日酔いで吐きそうだった。1時間かけてなんとか部屋をリセットしてもう一度寝た。昼過ぎに起きて、この前買った町田康のしらふで生きる-大酒飲みの決断-を持ってファミレスへ向かった。そのあとスタジオへ行き、スタジオが終わってからやよい軒で肉野菜炒め定食を食べて家に帰った。部屋に入るとまだうっすら醤油の匂いがした。できることならしらふで生きたい。

 

 

2020.01.01

年末、妹が東京から奈良に帰って来ていたので、数年ぶりに実家で年越しをした。年末年始にバイトをしなかったのも数年ぶりだった。年越しなのにチャンネル争いをしなかったので、お互い大人になったんだなと思った。二階の自分の部屋は綺麗に掃除されていて、色んなものがなくなって整理されていたが、学生時代に集めていた月刊バスケットボールの雑誌やバスケの教則本、部活終わりに書いていたバスケノート、高校生の頃にコピーしていた3B LAB.☆Sの楽譜、繰り返し読んだマンガ、小遣いで買い貯めたCD、昔のアルバム、教科書やノートなんかはそのまんま本棚や引き出しの中や押し入れの中に残されていた。部屋の片隅には、中学生の頃にお年玉の貯金で買った電子ドラムが埃をかぶったままポツンと置かれていた。もう10年以上そこにあるのに、えらく場違いに見えた。電子ドラムが家に届いた日に父が組み立ててくれて、その日から部活終わり家に帰ってきて毎日叩いていた。人に聞いてもらいたくて、父や母にヘッドホンをつけさせて叩いたりした。2人ともいつも褒めてくれた。久しぶりに電源をつけて叩いてみたら、ハイハットのパッドの接続が悪くて音が鳴らなくなっていた。それでもまだ叩くことはできた。押し入れの中を見ると、保育園の頃のアルバムが出てきた。昔に見たことがあった気はしたが、大人になってちゃんと見るのは初めてだった。そこには写真と一緒に、当時の母からの手紙が貼り付けられていた。ページをめくるうちに、涙が出そうになった自分に気がついて少し驚いた。やはり母という存在は偉大だった。持って帰ろうか悩んだが、この部屋に置いておくことにした。想い出を持って帰っても、あまり良いことはない。ここに残して、たまに見るぐらいがちょうどいい。

初夢は一人暮らしをしている部屋に石油ストーブが来る夢だった。部屋が狭いのでどこに置いても何かが熱くなりすぎて、置く場所をずっと悩んでいた。何の暗示もなさそうな夢だったが、石油ストーブの温かさが昔から好きなので、目が覚めても嫌な気持ちにはならなかった。おそらく久しぶりに見た実家の石油ストーブがあまりにも温かくて、そんな夢を見たんだろう。

 

 

 

f:id:shiromachi15:20200101175315j:image

2019.12.25

小さい頃、一度だけ友だちの家でクリスマスを過ごした。絶対にサンタを見よう、だから今日は寝ないで起きておこう、そう言っていつもなら寝ている時間にテレビを見たりして2人で夜更かしをした。見たことない番組ばかりで、なんだかとてもいけないことをしている気持ちになったが、友だちと2人だったので、胸はどんどん高鳴っていった。友だちと悪いことを行うときはいつも、背徳感を胸の高鳴りが上回る。でも結局2人ともすぐに寝落ちして、朝起きると枕元にはちゃんとプレゼントが置いてあった。友だちの家でもちゃんとサンタさんが来た!と嬉しくなったのを覚えている。

夕方頃家に帰ってきて、バイト先で余った弁当の残りをレンジで温めて食べた。そのあと家を出て、電車でスタジオへ向かった。スタジオの最寄駅に着いて、いつもの宝くじ売り場へ行った。今日は当たる気がして、というか、今日ぐらい当たっていいだろう、それがサンタからのクリスマスプレゼントだろうと勝手に思い込み、スクラッチくじを2枚買った。2枚とも外れた。サンタなんていない。確信した。スタジオでミーティングを終えて帰宅。家に帰る前にいつもの松屋へ向かった。クリスマスだしいいかと思い、味噌汁を豚汁に変更した。出てきた豚汁が熱すぎてなかなか食べることができず、牛丼を食べ終えてからもしばらく待ってみたがなかなか冷めず、聖なる夜に松屋で豚汁が冷めるのを待っている自分にだんだん腹が立ってきて、一口だけ食べて残した。舌はもはや豚汁の味もほとんど感じず、残ったのは熱による舌への刺激と虚しさだけだった。ご馳走様でした、と言いながら食器返却口にお盆を返すと、ありがとうございました、といつものおばちゃんが笑顔で言った。なんだか申し訳ない気持ちになった。松屋を出ると近くのキャバクラから白いハットをかぶったおじさんと露出度の高いキャバ嬢が出てきた。白いハットのおじさんはキャバ嬢に強くハグをして、手を振りながら帰って行った。キャバ嬢は横にいたボーイに何か話しながら中に戻って行った。クリスマスにキャバクラに行っているおじさんも、クリスマスにキャバクラで働いている女も、哀れだな、と思いながら歩いて家まで帰った。豚汁を残したせいで心まで冷たくなっていた。家へ帰ると、昨日花屋で買った小さな造花の鉢植えと小さなアヒルの置物がアホみたいな顔してラッピングされたままリュックの横に転がっていた。ソファの回りの床の上をよく見ると昨日寝る前に飲もうとしたら咳き込んでぶちまけた粉薬が散らばっていた。School of RockのDVDジャケットの主人公が机の上から哀れそうな目でこちらを見ていた。そのDVDジャケットにも粉薬がかかっていた。まだ掃除する気になれない。

 

 

 

2019.12.24

空気が乾燥していた。目覚ましなしで起きたはいいもののなかなかベッドから出ることができなかった。30分ほど経ってようやく布団をめくる決心がつき、勢いよくベッドから出た。勢いに任せないと冬の朝なんて何もできない。顔を洗って寝癖を直し歯を磨いて外に出る準備をし、街へ出た。歩きながら何を食べようか考えていたが、考えることが面倒になりすき家へ行くことにした。いつも大体こうなる。雨の日も風の日も二日酔いで死にそうな日も、牛丼はいつだっておれたちの側に居てくれる。一年中感謝している。すき家につくとカウンターの二席ほどしか空いていなかった。忙しない空気感の中、店員さんの1人がとても愛想良かった。恐らく高校生か大学生ぐらいの年齢で、素敵な笑顔で一生懸命に接客していた。高圧的な態度のオヤジ客にも誠実な対応の好青年店員さん。いつもの高菜明太マヨ牛丼がいつもより美味しく感じた。おれは単純なので、そんなことだけで素敵なクリスマスイブだと思った。ありがとうすき家のバイトさん。「いやクリスマスイブにバイトしてたっていい!今日も誰かのおかげで僕たちは楽しく平和に生活できている。当たり前の日常に感謝しよう。時を戻そう。」今年のM-1で知って大好きになったぺこぱの松陰寺太勇さんならきっとこんな感じのことを言うだろう。そんなことを考えながら電車に乗っていると降りるはずの駅をスルーしてしまった。時を戻して欲しい。そう願って実際に時が戻ったよって言う人?時間は戻らない。今を生きよう。松陰寺太勇さんならきっとそう言っていただろう。この妄想はちょっと楽しい。お笑いは素晴らしいカルチャー。反対方向の電車に乗って一駅分引き返した。今日は市役所に年金と国民健康保険のことを聞きに行った。市役所と田舎のヤンキーは意外と優しい。聖なる夜もいつもと変わらない。生活は続いていく。サンタさん、サッポロビールを1年分ください。

 

 

2019.12.18

BOOKOFFのDVDコーナーで映画のジャケ買いをして家で観るのが最近のマイブームになっている。できるだけ安いモノを探す。そのせいで少しずつDVDが増えてきた。Amazonで頼んだ外国のボードゲーム、実家から持ってきたバスケットボール、収納しきれずタンス前に置きっぱなしのTシャツ、ゴミ袋をかぶった扇風機、その横のくしゃくしゃのタオルケット、2リットルペットボトルに入った減らない柿の種、IHコンロの上に溜まっていく缶ビールの空き缶、なくしたと思って買ってきたのに部屋にあった2つ目のリップクリーム、埃をかぶったカホン、使わなくなったリュックサック、表紙が破れている文庫本、聞かなくなったCD、その他もろもろ、部屋に溢れるなくてもいいもの。片付けるのがめんどくさいのと、なんとなく今の部屋が好きなのでそのままにしている。理由の割合で言うと前者8割後者2割。それでも掃除機はかけるしトイレ掃除もするしシンクも綺麗なままにしている。居心地が良ければ1人の城なんてなんでも良い。この部屋でできるだけ毎日新しい音楽を聴き新しい映画を観て新しい文章に触れる。芸術は他にも沢山あるけれど、この世のすべての芸術を知ることは人生一周程度では無理なので、自分の興味が強いものを選択する。その中から更に選択して何を詰め込むかが大事だと強く思う。時間はない。ノロノロしていたらあっという間に棺桶。今日はcinema staffと2マン。曇り空の下奈良ナンバーのハイエースは高速道路を走り名古屋へ向かう。新しい世界に飛び込む瞬間が一番ワクワクする。昨日のスタジオで今日のセットリストを通したとき、従来の色と新しい色が混ざり合って、見たことない色になった。名前のないあの色をまだ3人しか知らない。新しいAge Factoryを見たい。