goodbye,youth

増子央人

2017.12.29

もうあと2日で2017年が終わるって。3日後には、今年で26歳ですって自己紹介しないといけない。昔テレビの街頭インタビューでよく見た 会社員(26) なんて、もう別世界の人ぐらい大人に感じていた。

損得だけ考えて動く人は、間違っていない。気持ちだけで動く人も、間違っていない。例えばルーズボールを絶対最後まで追いかける奴だったり、誰も見ていないグラウンドで一人素振りをしている奴だったり、不器用で一生懸命な、そういう奴らが必ず成功するわけじゃないし、必ず金持ちになれるわけじゃないし、でも、そういう奴らが最後には笑える世界であってほしいと、スタジオからの帰りの電車の中、おれは本気で思う。監督がいないところで手を抜いていたあいつが試合に出れて、監督がいないところでも必死に走っていたあいつがベンチにも入れないなんて、普通なんだ。下手くそなんだから。サボっていたあいつの方が上手いんだから。努力がまだ足りていない、それだけだってわかってるけど、きっと世の中にはそれだけだって言い切れない、今までの効率の蓄積や生まれもったもの、そういうどうしようもないような現実だってあるんだ。努力の量と結果は絶対に比例はしないんだ。わかっていても、悔しいじゃないか。惨めじゃないか。涙が出るほどに、叫びたいぐらいに、悔しいじゃないか。そんな奴らが笑えない世界なんて、悔しい。損得よりも、気持ちや想いで動ける人が、最後に笑える世界じゃないと、涙が出るほど悔しい。綺麗事がご飯を食べさせてくれるわけないのは、25年間も生きていればわかる。それでもこの世界はロボットが作っているわけじゃない、神様が作ったわけでもない、血の通った人間が作ったこの世界で、気持ちや想いを最優先に動く人が、誰も見ていないところで頑張れる人が、そんな不器用で馬鹿な人が、笑えない世界は、怖いほどに黒くて、悔しい。そんな不器用で馬鹿な人が最後に笑える世界であってほしいと、心の底から思う。

最近見なかった、勝手にシロクロって名前をつけていた近所のあの犬は、部屋で飼われるようになっただけだった。いつもつながれていた場所にある日から突然いなくなって、嫌な予感がしていたんだけど、生きててよかったと少し安心した。

 

 

 

 

2017.12.26

街の光は生きるための光以外ほとんど消えた。昨日まであんなにキラキラと装飾されていた木はただの木になった。年の終わりに向けて本格的に時間が走り出した。バスケット選手はバスケットだけ、野球選手は野球だけ、小説家は小説だけ、役者は芝居だけ、政治家は誠意だけ、神様は愛だけ、バンドマンは音楽だけ。それ以外はいらない気がする。ホテルでパクったT字のカミソリで無駄を剃り落とす。血が出てもいいんだ。なんとかカッコつけて、ポケットに入っていた小銭で後輩にビールを奢ってやって、なんかそんなんでいいんだたぶん。平成が来年で終わるって。勝手に新しい時代が始まる。

 

 

 

 

2017.12.25

今年のクリスマスは雪が降るのかなと毎年、別に降っても降らなくてもどっちでもいいのに一応考える。最後にサンタさんにもらったプレゼントは確か横1.2メートル程の大きな水槽だった。色んな生き物をそこで飼った。その前の年は確かコブクロのアルバムだった。おれは物凄く喜んでいた気がする。妹はゴスペラーズミモザという曲のシングルで、泣きながら母さんに「KinKi Kidsがよかったのにぃ!」と猛抗議していた気がする。いつかのクリスマスは幼馴染の友だちの家に泊まって今日こそはサンタを絶対見ようなと2人で意気込んで夜更かししようとしたけど遊び疲れて気がつくと日付が変わる前には2人揃って寝落ちしていた。朝起きると友だちの家なのにおれの枕元にもプレゼントが置かれていた。そのときはおれにもプレゼントが来ていたことに何も驚かなかった。逆に友だちにはあっておれにだけプレゼントがなかったら泣き叫んでいただろう。勿論、母さんが届けてくれていたらしい。

車で家族で遠くまで遊びに行って、帰り道に寝ちゃって、起きたら布団にワープしていたあの感覚がとても好きだったなと、クリスマスの思い出に引っかかって今ふと思い出した。父さんが起こさないように抱っこして車から布団まで連れて行ってくれていたんだ。たまに起きてるときもあったけど、おれは黙って寝たふりをしていた。あの時間が好きだった。キリストのこともユダのこともあんまり知らないままクリスマスをお祝いする。それは凄く阿保で素敵なことだと思う。

 

 

2017.12.18

舐めていた。まさかこんなに寒いとは思っていなかった。移動中の車で本を一冊読み終えて、ふと外を見ると白い雪が沿道に汚く積もっていた。車の中は暖房のおかげで暖かい。外に出るのが怖い。なんならこのまま奈良へ帰りたい。読み切ろうと思っていた本を二冊読み切ったのでもうおれはこの遠征になんの悔いもない。今すぐ家に帰って湯を沸かし風呂に入り紫シャンプーとトリートメントもしっかりし歯医者に教えられた方法で歯を磨き低反発マットのあのベッドに飛び込んでアラームをセットせずに寝たい。そして寝ることに飽きたかのように起きティッシュをとって久しぶりに抜き、達成感に満ちて体に悪そうなカップ麺を食べたい。

誰もいない信号機は無視をする。向かい側に大人の人がいても車が来ていなければ無視をする。向かい側に1人小学生が信号を待っていれば、無視はできない。あの純粋で綺麗な生き物に、汚いものを見せてはいけないという気持ちになる。小さな子とお母さんが向かい側で信号を待っていても、同様に、おれも信号を無視できない。ここで無視をすると、あのお母さんと子どもとおれとの間に何か少し気まずさのようなものが一瞬生まれる。それが面倒くさいし、申し訳ない気持ちになるし、真っ当な教育を邪魔したくないという気持ちにもなる。

昨日のビールのせいかお腹が少し痛い。それだけで少しテンションが低い。腹が減っているのかどうかもわからない。

 

 

 

2017.12.16

高松の商店街を1人ひたすら歩いた。海が近いせいか風が強く冷たかった。酔っ払いたちがたくさん歩いていた。自分が素面のときに酷く酔っている赤の他人を見ると、たまにイライラする。自分は酔うとあれ以上に酷いのにだ。自分のことは棚に上げて、酷いやつだ。

本の続きを読みたかった。サンマルクカフェを21:30に追い出され、ゆっくり本の読める場所を探して歩いた。酔っ払いたちを見ているとビールを飲みたくなり、居酒屋の個室で飲みながら読むのもありだなと思い、居酒屋を探すが、入り口付近で酷く酔って楽しそうにしている大学生たちやサラリーマンたちをかいくぐって1人で入っていくエネルギーがおれにはなかった。1人で居酒屋に入って本を読む男はかなりキモいなとも思ったが、高松の居酒屋の恐らく人生でもうその一度しか会わない店員にキモいと思われようがどうでもよく、おれの欲求を満たしたいという気持ちの方が羞恥心よりも強かった。(なぜこんなに外で本を読むことにこだわっているのかと言うと、このツアー中ホテルの部屋はもう5日ぐらい連続でツインなので、部屋にいると気が狂いそうだった。見た目では凄く冷静を装っていたが、1秒でも長く外に出ていたかった。彼女でもない限り誰が相手でもおれは恐らくそうなる。他人に自分のテリトリーを侵されることが酷くストレスに感じる。もって2日だ。だが経費削減のため文句は言えない。さすがにそんなに非常識人ではない。)個室のありそうな居酒屋を見つけて、勇気を出して入った。店員さんに1人です、と言うと、すみませんただいま準備出来るお席がありません、、と言われた。そりゃそうだ。土曜の晩の22時の忙しそうな居酒屋が一名様に個室を準備するわけがない。おれは諦めて喫茶店を探した。少し歩くと24時まで開いているサブウェイがあったのでそこに入った。貪るように本の続きを読んだ。渋々頼んだクリームチャウダーが意外と美味しかった。閉店時間までその店にいた。帰り道、また居酒屋に入ろうかと何度か思ったが、結局1人で居酒屋で飲むメリットをそのときは見出せず、冷たい風に震えながらホテルへ戻った。

 

 

 

2017.12.14

福島の婆ちゃんに手紙が届いたと、父から連絡があった。婆ちゃんは喜んでくれたみたいだ。ありがとうなという文字といっしょに、父から福島の綺麗な景色が送られてきた。朝の白い久慈川と、当直バイトをしているゴルフ場のオレンジ色に染まる朝焼けと、家で育てている光り輝く原木なめこと、たまたま大きな胞子のようなものが2つくっ付いて目のように見える椎茸の写真。そのどれもが澄んでいた。父の住んでいる場所は奈良よりも深い田舎で、どの風景を切り取ってもため息が漏れるほど美しい。あそこでは画面ばかり見ていると、その美しい景色を見逃してしまう。父から送られてきたその写真は、どんなにいいねが多いインスタ映えのする写真よりも美しいものだった。そんなことを思いながらも現代人のおれはその写真をインスタにあげようかと思ったが、おれと父だけのものにしたくてやめた。「風邪ひくなよ」といういつもの文字で、父からの連絡は終わった。その文字を見て、ほっと一息ついて、クリスマスの匂いのする高知県の商店街を歩いた。

 

 

2017.12.10

「東京はだんだん寒くなってきました。星はあんまり見えません。ビルから吹く風がたまに怖いです。どこに行っても黒はなく、落ち着けません。お店から漏れてくる暖房が暖かいです。コンビニのおでんはとても美味しくて、心まで温まる気がします。」

東京では年柄年中音が鳴っていて光が消えない。街行く人々はみんな不安そうに見える。たまに東京に何日間かいることがある。街を歩くと東京は人と人の距離は近いのに、ずっと1人のような感覚になる。店と店の間を走るドブネズミのことを美しいとはまだ思えない。ソープで働くあの知らない女がシングルマザーだったとしたら。教師をボコボコに殴って退学になったあの問題児の彼女がその教師からセクハラを受けていたとしたら。正解はいつも自分の中にしかない。なんだか大きくて小さいずっと灰色の東京。自販機から出てきたコーンポタージュはどこでも変わらず暖かい。ふとすれ違ったストリートミュージシャン、下手くそな歌声の前に足を止める人はいなかった。でもそいつは部屋にいたまんまじゃ0だった。1を100にするのは難しい。100を1000にするのも難しい。でも0を1にするのはもっと難しい。0を1にしたその勇気は白熱灯のように不器用に周りを照らし、自らを熱くしながら関わる人の心も温かくする。LEDライトより、少し不器用な白熱灯の方が綺麗な気がする。

「奈良も相変わらず寒いです。コンビニのホットコーナーの缶コーヒーを買うつもりもないのに握ったりしています。星はよく見えます。たまに早起きするんですが、朝焼けがとても綺麗です。でもみんな安心して熟睡していて、夢を見ている人がなんだか少ないような気がします。」