goodbye,youth

増子央人

2017.08.29

朝6時、重たい瞼を擦りながらテレビの前でご飯を食べていた。テレビは突然見たことのない画面に変わり、さっきまでニュースを淡々と読んでいたアナウンサーが何度も同じ言葉を繰り返し出した。画面には国民保護に関する情報と書かれていた。どのチャンネルに変えても同じ画面だった。異様な光景に目は完全に覚めていた。北朝鮮がミサイルを発射した。対象地域に福島県が含まれているのを見て、胸がざわついた。父さんも婆ちゃんもいる。テレビの前のおれは、ただ心配することしかできなかった。婆ちゃん家の近くには、すぐに避難できるような建物はない。田舎のほとんどはきっとそうだ。避難できるような建物なんて近くにはない。ミサイルが落ちてこないことをただ願うことしかできない。なんて無力で、日々はこんなにも急に奪われる可能性があるのかと、少し怖くなった。それでもバイトには行かないといけない。ミサイルが本当に堕ちるのかどうかも確認できないまま、原付を走らせた。駅前の朝は普段と何も変わらなかった。学生、サラリーマン、当たり前の平和に今日も溶けていく。夜、バイト終わりに父から電話がかかってきた。久しぶりに少し会話をした。父はおれに「やり切らなくていいから、とことんやれ」とおそらく少し微笑みながら、最後に言い電話を切った。帰りの原付は半袖だと少し寒かった。道路で蝉が死んでいた。赤とんぼをよく見るようになった。夏が終わろうとしている。

 

 

 

 

 

 

2017.08.16

福島にいる父から手紙が届いた。内容はRIVER聞いたぞということと、PV80回は見たということと、おれがバンドで10月福島に行くことをネットで知った父さんが婆ちゃんに「央人10月にライブしに来るらしいぞ」と伝えたら、「んじゃ、行ぐが」と真顔で言ってきて戸惑いました、という内容だった。婆ちゃん来たら爆音で死んじゃうんじゃないかと心配になった。これで焼肉でも食えって、封筒の中に一万円が入っていた。24にもなって父から小遣いを貰うなんて恥ずかしいが、生活的に結構有り難かった。すぐに財布に入れた。手紙とは別に、冊子が入っていた。今年83歳になる婆ちゃんは若かった頃、新聞にコラムを半年ほど掲載していたらしい。そのときのコラムを父がまとめて、おれに送ってきた。婆ちゃんがそんなことしていたのは初めて知った。その文章を読んでみると、婆ちゃんが必死に駆け抜けた昭和の風景が頭の中に広がった。文字から人柄がにじみ出ていた。おそらく40歳ぐらいの頃に書いていたもので、1人の農家の主婦が一生懸命がむしゃらに生きる姿が書かれていた。凄く好きな文章だった。おれが文章が好きなのは婆ちゃんからきていたのかなと1人勝手に納得していた。文字からはその人の生きていた景色やその人の性格が滲み出る。文章を読んでおれがまだ産まれてもない頃の婆ちゃんの生活を見れた気がして少し嬉しかった。婆ちゃんのことが更に好きになった。おれもこれからも適当に書いていこうと思った。

 

2017.08.13

家を出て1分、近所の犬のクッキーは今日も暑そうに芝生の上で寝転んでいる。心の中で声をかけて原付を走らせる。人と話をすることはやっぱり大事なことだ。昨日の居酒屋で思った。選択を迷ったとき、しんどいかしんどくないかはできるだけ考えたくない。楽しいか楽しくないかだけでいい。ライト兄弟は誰も飛んだことがなかったのに空を飛んだ。強い気持ちと行動力と少しの賢さがあればできないことはないんじゃないかって昔の偉人たちを見ると思う。空なんて飛べちゃったんだから人はもうなんだってできるよなきっと。ライト兄弟エジソンニュートンも、ずっと子どもだったんだ。友だちになって色んな話を聞いてみたかった。楽しい方へ、ワクワクする方へ、それだけ目指して歩きたい。

 

 

 

2017.08.06

東京に滞在しているといつも食生活が乱れる。コンビニで気休めの野菜ジュースを買う。そしてラーメンやチャーハンばかり食べる。大体いつもそんな感じ。一昨日の東京でのライブは見たことのない景色だった。色んな人に、今までのライブの中で一番だったと言われた。物販が見たことないほど売れた。今日の昼間のライブでもまた、今までステージから見ていた客席の様子とはまったく別物の景色だった。何かが変わった。初めて味わう感覚だった。機材車も変わって大きくなった。これでどんな機材でも載せることができる。昔のことを考えると、快適な後部座席は嘘みたいだった。何も成し遂げていないこの現状、バンドしてる限り満足することは一生ないと思う。それでも少しの変化に、周りの反応に、嬉しくて一喜一憂する、悔しくて拳を握り締める。休みの日に詰め込むバイト、包丁を握る手には何年も前からなくならないマメ、皮は破れた数だけ強くなる。

 

 

 

 

 

2017.08.02

蝉の声が大きくなった。入道雲も増えた気がする。夜クーラーをつけないと寝れなくなった。知らない間に8月になっていた。クーラーをつけたまま寝ているせいで朝起きると少し体が重たい。この前ミニアルバムを発売した。少しずつ確かに、広がっていることを実感する。どこまでも突き抜けて突き抜けて欲しい。誰みたいになりたいですか?なんて質問するやつはセンスがない。若手の中じゃ群を抜いてる、なんて言われても少しも嬉しくない。その時点でそいつの中ではおれらは若手の中にしかいないんだ。そんな場所で勝負してるんじゃない。明日はミニアルバムのレコ発東京編。四つ打ち、シティーポップじゃ足りない、もうみんなも気付いてるだろ。あれじゃ足りないんだ。古いんじゃない、明日が時代の最先端だ。機械的に挙げた手にはなんの感情も乗っていない、ポケットの中握りしめた拳は時代を変える。明日は本当に楽しみ。

 

 

 

2017.07.18

連日のライブがひと段落した。奈良へ帰る車内はいつも通り会話はなく、各々が各々の過ごし方をしている。険悪な空気ではない。居心地は割といい。窓から見える工場夜景はとても綺麗で、今日もあの光の数だけ誰かが働いていると思うと気が引き締まる気もするし、どうでもいいなとも思う。あの光は幻想的で生活的で、とても眩しい。東京タワーを初めて近くまで見にいったとき、あまりの大きさに圧倒された。333mの話ではない。あれを建てるためにどれだけの人の本気があったのか、この光にどれだけの人が想いを馳せたのか、おれには想像もできなかった。ただその大きさを感じることはできた。東京タワーの光はとても特別だった。奈良に帰り少し休んで、また4日後には東京へ行く。機材と夢を乗せたバンドワゴンは走り続ける。ヘッドライトは前しか照らせない。

 

 

 

 

2017.07.08

翔太が持ってくるコピーの候補曲はいつもRADWIMPSだけだった。屈託の無い笑顔でこの曲やりたいんやけど!といつも提案してきた。ラッドの曲はドラムが難しく、出来ないことが悔しくて完コピできるまで練習した。朝練前、翔太が貸してくれたラッドのライブDVDをごはん食べながら見ていた。蛍をコピーしたとき、翔太がスタジオで「増子のドラムはなんかキラキラしてるなぁ。なんかようわからんけどキラキラしてるわ。」とまた屈託の無い笑顔で言ってくれた。ドラムがキラキラしてるなんて表現は初めて聞いたしあまりピンと来なかったけど、とても良い気分になったのは覚えてる。ある日教室に入ってきた翔太が興奮しながら「さっきびっくりするぐらい綺麗な一本糞出てんけど!めっちゃ長いの!!やばない!?めちゃおもろない!?」と言ってずっと爆笑してたときはおれはこいつと笑いのツボが合うことは一生ないんだろうなと思った。2017年7月8日京都大作戦で初めてRADWIMPSと同じ日にフェスに出演した。ライブを生で見るのも初めてだった。裏のケータリングスペースで洋次郎さんに話しかけた。緊張で何を話ししたかあまり覚えていない。この日は昔のことをよく思い出していた。