goodbye,youth

増子央人

2017.06.28

少し歩くと、ビルの中にローソンがあったのでおにぎりとLチキを買ってイートインスペースでそれらを食べた。仙台の夜は少し涼しい。半袖じゃ寒いくらいだ。自分の人生はとことん自己中になっていい。従うにも意志は持っていい。昔のバイト先のおれの大好きな上司は、部下の陰口を部下の前で絶対に言わなかった。酒の席では他人の不平不満ではなく、未来の話しかしなかった。従うんじゃなく、この人のために働きたいって初めて思った。人前でキレること、イライラすること、それらはすべてそいつの器のデカさだ。器が小さいやつはよくイライラしている。その人がイライラしている様はほとんど見たことがなかった。

 

 

 

2017.06.26

天気予報士は梅雨入りしたと言っていたのに、あれから雨は恐らく1日しか降っていない。降るか降らないのかよくわからない灰色の天気が続く。休みの日の靴紐は緩い。誰とも会わない日は髭を剃らない。バスの窓から外を見ていると生い茂った新緑の木々が目に飛び込んできた。最近まるで会っていない、父のことをふと思い出した。仕事の帰り道、革靴を片方失くして帰ってきた父は母に怒られていた。申し訳なさそうに、カブト虫を捕れなかったことをおれに謝ってきた。ある日偶然父が道にいたカブト虫を捕って帰ってきたとき、おれが大喜びしたからそれからほぼ毎日カブト虫を捕って帰ってきた。父は帰り道、車を止め生い茂る木々に自分の靴を投げつけカブト虫を捕っていたらしい。その日は投げた靴が木にひっかかり捕れなくなったと言っていた。父がそんなことまでしてカブト虫を捕ってくれていたのかと、幼い頃のおれには衝撃的だった。その日の父の顔は今でも鮮明に思い出せる。綺麗に光る思い出のその玉は、たまに強く輝いて、暗い道を照らしてくれる。

2017.06.23

朝起きて、タレントの小林麻央さんが亡くなったことをニュースで知った。たまにブログを読んでいた。30代前半、子供を産んですぐガンになるなんて、もしおれならとても卑屈になり人生に絶望して、頭の中で悲劇のヒロインになってしまうと思う。それなのに、そんな状況にもかかわらずただただ前向きで明るい彼女のブログは衝撃的だった。最近は読んでいなかった。亡くなったことを聞いてすぐにブログへアクセスした。意識がなくなる前日までブログを更新していた。最後の記事も、いつも通り、些細な日常の幸せを感じる明るい記事だった。こんな人がいるのかと思うほど、明るく前向きな人で、出会ったこともないおれにはまったく関係のない人なのに、朝のニュースはとても悲しかった。おれはあのブログを読んでいるとき、最後にはガンは治って、家族とずっと幸せに暮らすんだろうなと勝手に思い込んでいた。ハッピーエンドの映画を見ているつもりだった。あまりの唐突な死の知らせに、悲しくなり、でも夜になるとその気持ちは少し薄れて、晩御飯のことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.06.21

用事があったので東京に1人残り、夜行バスに揺られて帰ってきた。梅田に降りると雨が降っていた。バスで首を寝違えた。薄いタオルケットは少し寒かった。冷えた体に雨が染み込んだ。通勤ラッシュ、スーツの大人たちに紛れて昨日から着替えていない汗臭いTシャツのおれは逆方向へ帰る。電車の向かいの窓に映る自分の顔は酷くくたびれていた。赤い近鉄電車から見える石切の景色は今日は霧で見えなかった。

 

 

2017.06.15

人の想像力は限りなく自由だ。ビッグバンのように想像力を爆発させる。人は腕からビームを出すこともできるし空を飛ぶこともできる。恐竜と友だちになることもできるし、宇宙にだって行ける、憧れのスーパーヒーローにもなれる。何でもできる。人の想像力は海よりも青く、宇宙よりも深く、太陽よりも光り輝くことができる。誰かに注意されることも、馬鹿にされることもない。6月の青い空をじっと見つめていると、明日のバイトのことも来月の支払いのことも急にちっぽけなものに感じてどうでもよくなる。海の青は濃く、空の青は少し薄い。どちらも美しい。吸い込まれそうなあの青に僕らは想像力を働かせ、脳味噌が溶けていく。

 

2017.06.10

大阪でライブがあった。昔から大好きなバンドのボーカルが新しく始めたバンドの、初ライブ、初共演だった。とてもカッコよかった。ドラムの女の人の手にはたくさんのテーピングがされていて傷だらけだった。刺激を受けた。帰り道、また昨日ライブハウスで買ったCDをウォークマンで聴きながら帰った。

2017.06.09

夜、大好きなバンドを見にライブハウスへ行った。帰り道、ライブハウスで買ったそのバンドの発売したばかりのCDを家から持ってきたCDウォークマンで再生した。CDを聴きながら自転車を漕いでいると、目の前を蛍が通った。今年初めて見た。感動して、SNSにあげようと思いiPhoneを準備していたら遠くへ飛んで行ってしまった。片手にiPhoneを握ったまま、それをただ見つめていた。もしかしたらあの場所に蛍がいるかもしれないと思い、家の近くの蛍がよく出る場所に行くと、やはりいた。初めはおれが来たことに気付いて光るのをやめてしまった。5分ほどその場でじっとしていると、じわりじわりと星のように色んな箇所で光りだした。あの瞬間、星空が地上に降りてきたようだった。ふと上を見ると満天の星空が広がっていた。蛍と星以外の光はない、まるで宇宙にいるようだった。人はなんで光るモノに感動するのだろう。その理由をずっと考えていたけどわからなかった。蛍は美しく儚い。それはまるでおれの大好きなバンドのようだった。必ず終わりはくる、わかっていながらも一生懸命光る。それだけが彼らの存在意義で、それがこの世の何よりも美しいとわかっているから。終わってしまうその瞬間まで、光り続ける。その生き様に、いつの時代も人々は魅了される。