goodbye,youth

増子央人

2024.04.10

久しぶりに奈良に帰ってくるとネバラン裏の佐保川沿いで満開の桜が咲いていた。かと思うと昨日の雨で近所の公園はもう葉桜になりかけていた。他の花だって同じように咲いてんのに、1年に1回だけ短い期間に咲いてこんなにみんなに喜ばれる桜は得やな、と帰ってきた日の夜に飲みに行った店のマスターが言っていた。たまに再結成してツアーに回るバンドみたいだな、と思いながらそうっすねえでもそういうもんすよねえと適当な相槌を打った。星と流れ星もそういう話かも?とか考えながらウーロンハイを飲み干してマスターの孫の話なんかを聞いていた。

先日父から、福島の祖母が趣味で書き留めている川柳をまとめた冊子のようなものが家に届いた。この4月で90歳になる祖母はこの前地方のテレビ局から取材を受けていた。パワフルおばあちゃん!と称されていつも通り原木椎茸の丸太を担ぐ祖母の映像が流れていた。相変わらずパワフルで元気な祖母が詠んだ川柳はどれもユーモアに溢れながらもとても繊細で、亡くなった祖父に詠んだであろう川柳もたまに入っていて、そのどれもが綺麗だった。川柳や俳句のことは何もわからないが、こんなに短い言葉でその人の人生や人となりが滲み出るなんて、言葉はなんて面白いんだろうと思った。

ツアー初日仙台の日は、今仙台に住んでいる父がライブを観に来た。ライブ後楽屋に来た父が、今日久しぶりにドライヤーを使ったんだがこれ見てくれ、と言いスマホの写真を見せてきた。ボロボロのドライヤーの写真だった。まだ父が奈良に住んでいた頃、おれが5歳になるぐらいまでずっとおれや妹の髪を乾かすのに使っていたドライヤーで、思い出が詰まっていてなんだか捨てれず、仙台まで持って行って今もずっと使っているらしい。ファミリーコンピュータのような配色だったが白い部分はもう茶色に近いぐらい色褪せていて、こんなの使っていたらいつか発火して火事になるんじゃないかと心配になったが、父は昔からそういうところがあったし、そういうところを尊敬したりもしている。

ツアー2本目の名古屋、いつかこの場所でやりたいと思っていた名古屋ダイアモンドホール、ステージから見えたパンパンの客席の景色はきっと忘れないし、会場入りしたときから気持ちがソワソワしていた。

ツアー3本目の福岡ではSongsの曲たちが身体に馴染んできたのを感じたし、ピザ屋で働いている友だちが昼間に自分で焼いたピザをライブハウスまで届けてくれたり、Party night in summer dream、向日葵、Blood in blue、 SONGSのMVを撮ってくれたふみやがこの日しか来れないからと東京から観に来てくれたり、福岡に住んでるZERRYと打ち上げで合流してアホほど飲んだり、各地で仲良くなった友だちたちと会えた。

良いツアーを回っている。後悔しないように各地で今持っている全部を置いていきたい。

 

2024.02.20

2月なのに暖かい日が続いている。真冬のテンションで毛布を被り寝ていたら朝、汗をかいて起きた。5枚目のフルアルバム「SONGS」は真夏にレコーディングをした。夏の曲が多いので、アルバム発売日が近付くに連れて外の気温が暖かくなっていくのは「SONGS」を前へ押し出す風が吹いてるように感じて少し心地が良い。何年経っても発売日前日は浮き足立って気持ちが昂り、時間を見つけては歩いてアルバムを聴いたりする。

Blood in blueを聴いてみんなの血がたぎって行くのを想像したり、Shadowのデモをえーすけが持ってきたときワクワクしてバンドをやり出した頃のような気持ちになったり、Party night in summer dreamを聴くたびに去年の6月のツアーを思い出したり、向日葵を去年の気怠い夏に何度も聴いては何故か昔のことを思い出したり、SONGSの歌詞を初めて聴いたときに10代に戻ったような感覚になったり、I guess soができたときまだまだみんなと今みたいに遊びたいと思ったり、She is goneのメロディーを初めて聴いたときにスタジオで感動したり、Lonely starを作っているときにこの曲がこのアルバムには必要だと思った感覚や、Aliceに牛丸が入って完成した曲を聴いたときのワクワク、アルバムの最後の曲Hallelujahの歌録りが終わったときの高揚感、本当に良い歌だと思ったこと。今もちゃんと思い出せる。

会場限定のCDにはボーナストラックにAfterSchoolも収録されている。この曲はサブスクには配信されない。これはDAIRIKUの初めてのFashion showに合わせて作ったもので8分を超える曲になっている。今までのAge Factoryの曲の歌詞やメロディーも散りばめられていて、ドラムは奈良ネバーランドでRECした。バンドでこんなに長い曲を作ったことはなかったし、ショーのために作ったのも初めてだったし、えーすけの高校の同級生でもある大陸はおれら3人ともみんな好きなやつでそいつの大切な日のために3人で作った曲ということ、それに何よりも曲が良いので、この曲にも特別な思い入れがある。

日付を超えたら新しいアルバムがリリースされる。帰り道、酔いながらもまた聴こうと思う。

 

2023.12.23

年内のライブがすべて終わった。奈良に帰ってきて荷解きをし、いつもの喫茶店へ行きあまりにも寒すぎたのでホットココアを頼んだ。

一昨日のツアーファイナル、岡山での打ち上げは恐らく今年1の荒れ方で、腹が千切れるほど笑った。ワンマンの打ち上げなんて何度もしているしチームのみんなとも何度も飲んでいるのに、まだあんな高まり方をするのかと自分も含めて感心してしまった。帰るやつは帰り、残るやつは残り、おれは朝6時まで飲んでいた。翌日のベガスのツアー高松は二日酔いの中、ケータリングがうどんだったので有り難かった。久しぶりにあそこまでアウェイの空気感の中でライブをして、えーすけのMCはほとんどなく、ヒリヒリしていた。少し昔を思い出して、2023の最後のライブがこれなのもAge Factoryらしいと思った。今年を締めた曲はHIGH WAY BEACHだった。ベガスと居酒屋で打ち上げをし日付がまわったころホテルへ戻ると、ロビーの飲食可能なフリースペースでスタッフがみんなでAge Factoryの音源をiPhoneで流しながら飲んでいた。今年最後やから乾杯しよ、と誰かが言って、結局全員でだらだらと2時間近く喋っていた。

終わりの時間を気にせず、行き先も決めずにどこかへ歩くということを最近できていないなと思った。それが知らない街なら尚良い。知っている街でも知らない道なら良い。ああいう時間が大切だったことを忘れかけていた。

ピアノガールの昔の音源のサブスクが解禁されていた。あの頃は軍団や焚火やdemo CDをウォークマンで聴きながら知らない街をよく歩いた。久しぶりに聴くと大切な感情が沢山入っていた。あの頃の生活から変わったことが沢山あり、変わらないことも沢山あり、依存するものが少し増えた。人はみんな何かに依存しなきゃ生きていけないので、日々の生活なんてこんなもんだろうと思う。

ブログを書いている間にココアが冷めていた。温かい飲み物はすぐに冷めてしまうところが好きじゃない。上にのっている生クリームも混ぜていいのか分からずそのままにしている。喫茶店の中ですら寒い。勘弁してほしい。

 

 

2023.11.16

ツアーがひと段落して久しぶりに奈良に帰ってきた。スタジオでドラムを叩こうと思ったが起きてだらだらしていたら夕方になってしまい、結局スタジオの予約も取らず、腹が減ったので家を出た。ツアーで外に出ている間に奈良もすっかり寒くなっていて、いつものベンチに座っていると体が冷えていくのがわかった。

散々飲んで食べて踊ってドラム叩いて、こんな生活がいつまで続けられるのか自分でもわからないが、凄い速さで過ぎていくこの無茶苦茶な日々を友だちに話して笑ってもらえるならそれでいいやと思ったりもする。

Age Factoryのライブ中たまに、このあと体が動かなくなってもいいと思うときがある。なるべく力まず、柔らかいフォームで力を抜いて、勿論そういうことを考えながら練習したりするが、そういう気持ちがすべて吹き飛んで、感情的になって体を動かしてしまうときがある。それは狙ってやることではないので、勿論そうじゃないときもある。楽しくないのに笑えないし、嫌なことがあればそれも表情に出る。名古屋で昨日の景色を見れたことはきっと忘れないと思う。

昨日のライブの動画をベンチに座って缶ビールを飲みながら観ていた。ライブが終わって、最後の曲がスピーカーから流れる中、帰る人たち、写真や動画を撮る人たち、踊る人たち、誰もいないステージを見つめる人たち、自由なフロアにミラーボールの光が回って、とても美しかった。これからあの曲を聴くときっとこのツアーの日々のことを想い出すと思う。

1時間ぐらいずっと、木の上に白鷺が止まっている。もうほとんど日が落ちてしまったが、まだ山と空の境目がわかる。あの鳥が飛び立つまでここにいようと、勝手に根比べをしている気持ちになっていたが、風邪をひきそうだから帰ることにする。

 

 

 

 

 

 

2023.09.17

今年の夏は木を見上げる回数が多かった。別に見つけても捕まえたりしないのに、ネットでカブトムシがよくいる場所や時間帯を調べたりしていた。父に似てきたんだと思った。

今年の3月に父に会いに福島へ行ったとき、父がよく行くという山に連れて行かれ、木の種類や秘密の抜け道なんかを教えてもらった。あそこの流木を拾ってよく道の駅まで売りに行ったんだ、とか、あそこの斜面は登れるぞ、とか、前にここでニホンカモシカを見たぞ、とか、そういう話をずっと聞いていた。夜に父がよく行く居酒屋に飲みにいき、二軒目にこの時間帯ではここしか開いていない、という最終地点のような店に行き、4時までカラオケをしながら飲んだ。おれは奈良で同じような飲み方をしているので、これは父の血だったのかと思った。店の人から、父の話を沢山聞いた。その話から父がどれだけ愛されているかが伝わってきて少し嬉しかった。昔よく父が聴いていて好きになった曲があり、その曲を歌った。父は笑いながら泣いていた。よく考えると父が泣いている姿を初めて見た。

年々涙脆くなっていき、些細なことで感動するようになった。母に似てきたんだと思った。

今年の8月の頭に母方のばあちゃんが亡くなった。奈良でレコーディングの最中だったが、ドラムは録り終えていたので、後半の歌録りには参加しなかった。母の車を運転して、久しぶりに会った妹と母の3人で三重へ向かった。お通夜の直前、葬儀所の近くに虹が掛かっていた。周りは田んぼだらけで、綺麗な稲が金色の絨毯を敷いていた。三重の田植えの時期は奈良より早いんよ、と隣にいた母が教えてくれた。いつも辛いことがあると聴く曲があるの、その曲聴いていい?と言い、母はカーステレオでDoris Dayのケ・セラ・セラを流した。2分程度のその曲を何度も何度も繰り返し流していた。助手席を見なくても、母が泣いていたのがわかった。田んぼに囲まれた一本道で、アクセルを少し緩めた。

今年の夏で8月がより嫌いになった。9月に入っても暑い日が続いているせいで、嫌いな8月がまだ終わっていないような錯覚に陥る。早く終わってほしい。

 

2023.06.25

ツアー東京編O-EASTのライブ前、昔から音響をしてくれているスタッフが楽屋に来て、初めてAge FactoryのワンマンのPAをしたのがこの上にあるO-CRESTだったこと思い出したと話していた。あまり見ることのない目をしていた。あれから6年半経っていた。袖で見ていたJESSEさんがライブ終わり、お前こないだの打ち上げで高校の頃バスケ部で控え選手だったって言ってたけど、お前は控えなんかじゃない、お前のドラムの代わりなんて誰もいねえからな、と言ってくれた。この先どう生きていっても、おれはこの言葉を絶対に忘れない。

このツアーはすべてワンマンだったが、毎夜打ち上げをし、散々飲んで踊った。みんなで地方の知らないクラブに行ったり、居酒屋の閉店後ホテルのロビーで朝まで飲んだり、酷い二日酔いで翌日の打ち上げは早々に抜けたり、ライブの感想や翌日のライブのことやくだらない話を色んな街でした。

ステージの上で話すえーすけの言葉は少ないが、おれも初めて聞くような本当の言葉が出ることがある。このツアー中にもそういう言葉が幾つかあった気がした。

何度も繰り返してきた、同じような夜のはずなのに、忘れられない気がした。

扉を開けるともう外は明るくなっていて、あんなにいた人たちはみんないつの間にか帰っていて、まだ元気そうな数人は少し名残惜しそうに友だちたちと喋っていた。1番踊っていたうちのスタッフは酒がかかってびしょびしょになったAge FactoryTシャツを着て喋り続けていた。ほんまによかったなーこのツアー、と5回ぐらい言っていた。Party night in summer dream TOURの終わりにぴったりな朝だった。今年もまた夏になっていた。

 

 

 

2023.05.25

気がつくとベンチを探して20分ほど歩いていた。いつのまにか汗だく、背中に張り付くTシャツ、髪の毛から黄色い汗が垂れて不快な気持ちになった。

先週のPaleduskのツアー帯同最終日、京都での打ち上げ中に流れてきた曲があまりに良くて、口ずさんでいただいぽんくんに曲名を教えてもらった。そういう見つけ方をした曲は特に記憶に刻まれる。その日からその曲を聴くと、あのどうしようもなく無茶苦茶で楽しかったツアーの日々を思い出す。ダンスに間に合う、という曲だった。

奈良に戻ったのも束の間、そのあとすぐ北海道へ行き、今は東京にいる。奈良に帰ってまたすぐツアーに出るが、奈良にいる間に後輩が最近開いた居酒屋へいつ行けるかカレンダーを見て考えている。LOSTAGEの新譜も買いに行かないと。CDウォークマンが壊れかけていて音量が下がらなくなっていたがまだ使えた。10年程前に幼馴染に貰ったヘッドホンもついに左耳に当たる部分が外れかけていたが、ガムテープで貼ればまだなんとか使えそうだったので帰ったら直さないといけない。音が鳴らなくなるまで使い続けたい。

今週末に出たNOISEMAKER主催のKITAKAZE ROCK FES、4月に出た鹿児島のWALK IN FESやアラバキロックでも色んなドラマを観た。Age Factoryは3日前の札幌を皮切りにツアーを周り、本格的に夏が始まる頃から制作期間に入る。えーすけはまた心が踊るような、感動を更新するような新曲をどんどん書いている。

さっきまで汗だくになっていたのにもう汗はひいて体が冷えてきた。また歩き出せば体が熱くなり汗をかく。こういうことをずっと繰り返している。